時代の変化についていく

6/23のブログです。

こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。

どうやら今年の梅雨は、空梅雨にはならなさそうです。連日梅雨らしい雨が振り続けていて、ジトジトと湿気に苦しめられる日が続いています。

ただまぁ雨がなければ我々の生命は成り立たないわけですから、感謝の気持ちを持たなければいけません。いくらでも降り注いでくれ、とは言えませんが、程々にしっかりと降ってくれることを願います。

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時代の変化についていく

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そんな今日ですが、お隣のお寺の前坊守の年回法要がありました。お寺の場合は、葬儀はもちろんですが、年回法要でも割と大々的に行うことが多いです。そして近所のお付き合いも大切にしています。

法要後に食事の席があったのですが、どこのお寺も同じような課題にぶつかっています。そんな課題も大小様々ありますが、どれも時代の変遷と片付けてしまえば早計で、なかなか難しいことばかりです。

私の父、もしくはもう少し上の世代の方々が同卓だったので、寺に入ってたかだか6年ちょいの私が言えることはあまりありませんが、どれもこれも仕方のないことばかりで、変化を憂うのではなく、対応していくしかありません。

私が生きてきた36年間ですら、大変な価値観の変化がありました。特にここ10−20年くらいはその変化が顕著で、昔のテレビ番組や漫画を見ると、『え、この表現大丈夫?』となることもしばしばです。

当然ながらそんな表現に当時は何の違和感も覚えなかったわけで、時代の変遷とともに自分自身も変化していっていることを感じます。コンプラが縁起として働き、諸行無常になっているわけですね。

未来のことなので正確なことは言えませんが、ここからの10-20年も変化の大きい時代になりそうです。お寺として、変えるべきところは変え、残すところは残す、その判断を見誤らないようにしていければと思います。

今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。時代を憂うなんて、2日連続でなんだか年寄りみたいなブログになってしまった。

南無阿弥陀仏

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