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親鸞聖人の足跡を巡る旅を振り返る④

こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


本日は木曜日、ということで書道教室の日でした。木曜午前が私の枠ですが、用事があると別の日に振り替えていますので、今日も授業に行くとマダム生徒さんから『あら、珍しいわね』と言われてしまいました。


そして本来であれば今日が12月号の課題提出日でしたが、全く進められていませんので来週に延ばしていただきました。12/23の水曜日が全体の締め切りですので、それより前に行って課題提出してきます。追い込まれてます。


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親鸞聖人の足跡を巡る旅を振り返る④

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さてさて引き続き、2年前の年末に行った『親鸞聖人の足跡を辿る旅』を改めて振り返っていきます。


ずっと書いていますが念のため、、、


今回のシリーズはあくまで『振り返り』ですので、いま旅に出ているわけではありません。私は東京にいます。また、実際に私が訪れた順番ではなくて、まとめるために関連性から順番を決めています。ご容赦ください。ちなみに写真は、全て私が(多分)撮影したものです。

親鸞聖人が歩んだとされるルートを図式化したものがこちらです。(ざっくりとなってしまい恐縮ですが)京都でお生まれになり、流罪で越後に流され、関東に向かい、そして京都に戻られて御遷化、というのが親鸞聖人の歩まれた道です。今日はここから、流罪の地へ向かう道中に親鸞聖人が立ち寄った場所をご紹介いたします。


改めて、2年前の冬、急にお邪魔したのに優しく迎え入れてくださった方々に感謝申し上げます。


ほな、行こか。



『證誠寺』(福井県鯖江市)

~親鸞聖人流罪の道~

入口・正門

↑御影堂

↑阿弥陀堂


福井県鯖江市にある寺院で、真宗十派の一つである真宗山元派(やまもとは)の本山です。親鸞聖人が承元元年(1207)、流罪の身として越後へ向かう途中、山元の庄(現在の鯖江陸軍墓地)において法を説かれ、それが證誠寺開山の基となったそうです。


その後、至徳2 年(1385) に親鸞の長男善鸞の系統で真宗三門徒派の開祖である如道の門人道性によって創建されました。ところが師の没後、後継者である次男が浄土宗に改宗したために内紛(大町・横越引分) が勃発し、これを機に独立となったそうです。


本尊にある木造の阿弥陀如来像立像は藤原時代~鎌倉時代(12 世紀末~ 13 世紀初頭) に造られたもので、鯖江市の指定文化財となっていました。昨日アップした誠照寺もそうですが、山門に大きな石碑があるのってかっこいいですね。



『極性寺』(富山県富山市)

~親鸞聖人流罪の道~

↑入口

↑本堂

↑親鸞聖人像


富山市安田町1-11 にある真宗大谷派の寺院です。元は、新川郡下条水橋館(にいかわぐん げじょう みずはしたち)にあった真言宗寺院だったそうですが、親鸞聖人が流罪の道中にここへ逗留した折、その感化を受けて浄土真宗に改宗したそうです。近世富山藩の時代に現在地に落ち着きました。


富山駅からは、歩いて10 分程いったところにあるお寺でした。普通の道にぽつんと入口があり、少しわかりにくかったのですが、入って進むと境内が広がっていました。その中には親鸞聖人の立像もあり、聖人所縁のお寺といった感じがしました。お声がけしたのですがどなたもいらっしゃらなくて、残念ながら本堂には入ることが出来ませんでした。



『徳法寺』(富山県黒部市)

~親鸞聖人流罪の道~

↑三本柿の一つ

本堂・十字名号(帰命盡十方無碍光如来)

腰掛け石


富山県黒部市三日市3241 にある真宗大谷派の寺院です。親鸞聖人が流罪の際、当地の辻源左衛門時国方へ宿泊し、その縁から祐円と名乗り弟子入りしたのが基となっているそうです。このお寺には三本柿という柿の古木があり、宿泊の時源左衛門から差し出された柿の種を、聖人が囲炉裏で半焼きにした末に植えたところ、三本の柿の木が生じたといういわれを持っています。


ここは、別名『辻徳法寺(つじとくほうじ)』と呼ばれていますが、寺族の名字が辻さんとおっしゃっていました。柿の木の近くには、親鸞聖人が腰を掛けたと言われる腰掛け石がありました。また、本尊が像や六字名号(南無阿弥陀仏)ではなく、親鸞聖人御真筆と言われる十字名号(帰命盡十方無碍光如来)というのも印象的でした。また、次の大雲寺さんとは親戚関係にあるそうです。



『大雲寺』(新潟県糸魚川市)

~親鸞聖人流罪の道~

↑入口(親鸞聖人御旧跡の文字)

親鸞聖人・蓮如上人の御立像

↑立ち竦み(たちすくみ)の像


新潟県糸魚川市外波にある真宗大谷派の寺院です。この地には有名な親不知(おやしらず)の難所がありますが、親鸞聖人がこの難所に行く手を阻まれた際、『立ち竦(すく)み』という名の漁師が道案内をしてくれ、そのお蔭で一行は通り越すことが出来たそうです。


やがて外波の里に着いた御一行は、外波村の神職・大文字屋右近平宗輝宅にて、難所を抜けた時の話をすると、妻の持仏も『立ち竦み』と称すると言い、厨子を開けると如来の裾が塩水にぬれ、足には砂が付いていたそうです。この奇瑞から、一晩法話を聴聞した当主は、その場で親鸞聖人の弟子となり、この寺を建てたと伝わっています。


また、後に本願寺八代目の蓮如上人から飛龍山(法善寺は龍飛山。ニアミス)という山号を頂いたそうです。このことから、親鸞聖人と蓮如上人のお二人の立像が置いてありました。


またご住職にお願いをしたところ、立ち竦みの像も見せていただくことが出来ました。雨が降っていることもあり、帰りは最寄り駅まで車で送って頂き、更に駅で温かいお茶までごちそうになってしまいました。何から何まですみません。御恩は忘れません。



今日はこの辺で。それにしても昔の人は、あの道のりを草履的なもので歩いて移動していたなんて、信じられません。2000円とはいえ、私は現代の靴を履いていても足裏が痛くなって歩くのがキツかったです。


実際移動してみると、そんなことにも思いを馳せることが出来ました。やっぱり体験するって大事です。


明日からは、流罪の地に降り立ってからの親鸞聖人を追いかけていきます。引き続きご注目ください。



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