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10月の声明の会

10/20のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


海の向こうアメリカから、河村勇輝選手がNBAで2 Way 契約を勝ち取ったというニュースが流れてきました。まだ本契約ではなく、簡単に言えば一軍と二軍を行ったり来たりできる契約というものですが、これでNBAデビューはぐっと近づきました。素晴らしすぎます。おめでとうございます。


NBAで6年プレーした渡邊雄太選手も最初はこの契約でした。そこから少しずつ実力を認められ、出場時間が増え、本契約を勝ち取ったという流れがあります。河村選手にも、是非この流れに乗って行って欲しいなと思います。


壁を越えたらまた新たな壁。大変かと思いますが、是非とも頑張ってください。


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10月の声明の会

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今日はお寺の声明の会がありました。祖父の代から毎月第3日曜日に開催しているもので、お経を読んだり、仏教の話をしたり、雑談をしたり、そんなアットホームな会です。


構成としては、前半は皆さんで声を出し、後半は仏教の話をするという感じです。前半の部分では今日は、報恩講に向けて正信偈の真四句目下をお読みしました。


真四句目下は、よくお読みする草四句目下よりも重い称え方になり、きちんとやろうとするとかなり疲れます。ただだからといって、手を抜いては父や祖父にどやされますので、自分と戦いながら頑張ってお勤めをしたつもりです。


後半のお話パートでは、引き続き歎異抄についてお話をしております。今日から第3章に入りまして、いわゆる悪人成仏が解かれているパートに入りました。『善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』という、少し衝撃的な言葉から始まります。


『善人が成仏するのだから、悪人が成仏するのは当たり前だろう』ということになりますが、普通の我々の感覚からすると反対だと思ってしまいます。悪人が成仏するのであれば、善人はもちろん成仏する、と。


ここにある真意としては、阿弥陀様はどういった方々に向けて本願を起こされたのか、というところにあります。誰こそが阿弥陀様の本願によって救われるべき方々なのか、ということです。


自分自身で修行をされ、善行を積まれ仏でなられる方々には、阿弥陀様の本願は働かれません。なぜならば、そういった修行はかなわない方々に向けて本願を起こされたからです。ここで出てくる善人と悪人というのは、この前者と後者の違いになります。今の我々が思うところの善人と悪人とは、少し意味が異なります。


ただ、詰まるところ言ってしまえば、この善人に当てはまる人はどれだけいるのでしょうか。自分の力だけで仏となるために、自分の力だけで完璧な修行を積まれ、完璧な善行をされる、そんな人がはたしていらっしゃるでしょうか。


言ってしまえば、ここでいう悪人というのは我々人間全員を指しているのではないでしょうか。使っている本の中の解説では、凡夫という言葉をこの悪人に差し替えて使っていましたが、我々人間はほぼ全員凡夫なのではないでしょうか。


そんな悪人こそすくいたい、という気持ちで阿弥陀様は本願を起こされました。だからこそ、最初の言葉である『善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』に繋がってくるわけです。我々こそが阿弥陀様の本願にかなった存在であると説かれています。


それにしても歎異鈔は、解説を読みながら、また少しばかし仏教をかじった私が読むと、なんとなくの真意が見えてきますが、そうではない方々が本文だけを読むと、かなり勘違いされるだろうな、というのが容易に想像できます。


ただ、そうやって曲解されたからこそ、民衆の間に広まったと言えるのかもしれません。よくも悪くも劇薬である歎異抄。どう受け入れるか、どう説いていくかは、時代時代のお坊さんの役目なのかもしれません。どうにか私もその役目を全うできれば良いのですが。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。来月の声明の会はは11月17日です。どうぞお気軽にご参加ください。



南無阿弥陀仏

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