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本願寺学院2年目 前期レポート公開③

こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。


昨日に引き続き、先週に提出した学院のレポートを公開していきます。


水曜日の授業は仏教学。

レポートのテーマは『四法印について』でした。仏教の基本的思想である四法印『諸行無常』『諸法無我』『涅槃寂静』『一切皆苦』のことで、これらについて細かく書いていきました。


拙筆ですが、ご覧ください。

 

四法印について

本科二年 中山龍之介


 四法印とは仏教の根本的な思想である。一般的には、法句経で説かれた『諸行無常』『諸法無我』『涅槃寂静』の三法印に『一切皆苦』を加えたものを指す。この三法印または四法印で使われている法とは、真理という意味から派生し、釈尊の教えを意味している。


 まず、諸行無常とは生滅の法で、どんな事物も移り変わり常なることは無い、という意味である。ここで使われる行とは、形成されたもの、または集められたものを意味する。では、何によって形成されたのか、または集められたのかというと、それは縁起に他ならない。事物は様々な縁起を頂きながら、少しずつ、時には大きく変化している。そして無常観にも相続無常と刹那無常(念々無常)の二種類がある。相続無常とは生じたものは必ず滅するという無常観である。もう一つの刹那無常というのは、物事は次の刹那(一瞬)には別の状態に成る、という無常観である。生(生じる)、住(留まる)、異(変化する)、滅(滅する)という四つの作用を、様々な縁起によって刹那ごとに繰り返している、という考え方である。相続無常がマクロ的視点であるのに対し、刹那無常はミクロ的視点で無常を描いているのである。


 次の諸法無我は少し長めに説明する。諸法無我とは、『私』という絶対的なものは存在しない、という意味である。ここでの『法』は四法印とは違い、事物や現象を意味する。そして『我』は仏教以前のインド思想にあるアートマンを意味し、これは常一主宰の自己のことである。常一主宰とはそれぞれ、常は永遠的な存在、一は独立した存在、主は中心的な存在、宰とは全ての支配を意味する。つまり諸法無我とは、いかなる事物や現象にも、常一主宰の我(アートマン)は存在しない、という意味である。


 この思想は、ウパニシャッドに説かれる梵我一如思想を、仏教が否定したという意味も込められている。梵我一如とは梵(ブラフマン)という宇宙の自己と、我(アートマン)という一人の自己が同一であるという考え方である。これに対して仏教は、絶対的な我は存在せず、私は縁起によって成り立っていると説いた。人が受ける様々な縁起によって、その人が形成されている、ということである。では同じ縁起を頂いた人間は、同じ性格を持った人間になるのかというと、それも違う。私たちは五蘊を通じて縁起を頂くのだが、その五蘊での感知が人それぞれで違うからである。五蘊とは色受想行識のことで、色とは物質的な現象を意味し、あらゆる物質的存在、受は六根に代表される感受作用、想はイメージや概念を作り出していく表象作用、行は受から想によって作り上げられた意志、そして識でそれを識別するのである。四苦八苦の一つである五蘊盛苦とは、この五蘊によって人は執着や煩悩が作り出されることを指している。


 ニュースなどで凶悪犯罪の犯人などを目にすると、人は『なんて人だ』『あんなことをするなんて考えられない』と思ってしまう。もちろんそれは正しい感覚なのであるが、そんな犯人もその行動に至るまで様々な縁起によって自己が形成されていったのである。諸法無我の視点を取り入れて考えると、そこには絶対的な我というものは存在しない。犯人を自分とは全く別物だと感じている人も、その犯人が今まで頂いてきた縁起を同じように受け取った場合、同じ行動を起こさなかったと言えるのだろうか。また、その犯人に対して自分自身が何かしらの縁起になっていないと言えるのだろうか。諸法無我とは、このように人と人との繋がりも考えさせてくれる思想であると思った。


 次に涅槃寂静とは、涅槃を得ることが安らぎの境地である、という意味である。涅槃というのは煩悩を滅することであり、この煩悩は貪欲・瞋恚・愚痴の三毒を指す。貪欲とはむさぼり、瞋恚とは怒り、愚痴とは愚かさや無知を指している。この三毒を滅することが涅槃であり、それこそが私たちの目指すべき安らかな境地なのである。しかし、現世で涅槃を得る現法涅槃は初期仏教的な考え方であり、我々浄土真宗は異なる。浄土真宗では、この現世において煩悩を滅することは不可能なため、我々はこの体が滅したときに涅槃を得られることが約束される現生正定聚に入るべきだと説かれている。


 最後の一切皆苦とはその字の通り、一切のものは皆全て苦である、という意味である。この苦というのは四苦八苦を指している。生老病死の四苦と、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四苦を含んでいる。苦とは、欲を根本にして欲を因縁としている。つまり五蘊によって物事を正しく認識できない、縁起の道理という真実が見えない私たち自身が苦の原因なのである。


 四法印とは、この世界で苦しむ私たちに真実を見せてくれるものである。所詮凡夫である私たちに俯瞰した視点から、この世界の真理を示してくれているのである。

 

いかがでしたでしょうか?ご質問やご意見ありましたら何なりと!


明日は木曜日の授業『三経七祖』のレポートを公開させていただきます。是非ご覧ください。



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