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3月末にいつも思い出すこと

3/30のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


月初のホテル療養期間中、ホテルのWi-Fiが遅すぎたのでスマホの回線を使っていた結果、大量のギガ数を消費してしまい、今日ついに制限がかかってしまいました。NetflixやHuluを長時間見ていたツケが回ってきました。通信制限がかかるのは、長いスマホ人生で初めての経験です。


3月末までということなので明日乗り切れば良いのですが、いまはWi-Fiに繋いでないとLINEのメッセージすらまともに開けない状況です。LINEのメッセージ欄開くだけでももネット回線使ってたんだな、ということを初めて知りました。


明日までですが、LINEの返信等遅くなりましたら申し訳ございません。ご容赦ください。


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3月末にいつも思い出すこと

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明日で3月も終わり、ということで年度末です。毎年この時期になると、なんでか高校に入学した時を思い出します。小学校の時は小さすぎて記憶に残っていないし、中学の時は普通に地元の公立に進学したのであまり記憶に刻まれていません。中学の入学時では、曲がりなりにも新入生代表で答辞を読んだらしいのですが、残念ながらほとんど覚えていません。


高校は、年齢的なこともあるでしょうが、自分で選んで受験して入った高校ということで、ワクワク感が強かったから覚えているのかもしれません。また、高校の中庭に桜の木があったのですが、それが印象的だったからかもしれません。


私が高校受験をした年は、都立試験は様々な取り組みがされていました。学区撤廃も一つですが、もう一つ大きな取り組みとしては『自己PRシート』なるものを提出しなければいけなくなっていました。今もある制度なのか知りませんが、普通の試験とは別に、高校側に自分をPRするために『こんな活動しました』とか『部活頑張りました』みたいなことを書くシートです。内申点、試験、そして自己PRシートで合否が決まるとのことで、それなりに頑張って書いた記憶があります。


頑張って書いた記憶はありますが、何を書いたかは全然覚えていません。ただ、『部活動はバスケを3年間頑張りました』と書いたことだけは覚えています。


もう時効なのでいいと思いますが、実はこれは嘘で、中学入学時はハンドボール部に入部して、中1の終わりにバスケ部に転部しました。ハンド部を辞めた理由はまあ色々ありますが、自分としてはバスケ部に転部してよかったなと思っています。ただ当時の担任の先生から、『部活動は3年間やり通していた方が印象が良いから、バスケ部に3年間在籍したことにしておきなさい』と言われ、自己PRシートにはその通りに書きました。


ハンド部を辞める時にも親からいろいろ言われたりしたので、担任の先生からそう言われた時も『まあそうだよな』という感じで受け止めていました。そんな時分を今思うと、『大学出て会社に入ったら、一社で勤め上げる』という価値観の時代だったんだな、ということが見え隠れします。転職なんてもっての外、という世界です。


ただ、私が社会人になった頃にはすっかりその価値観も廃れていました。ということは、高校入学から大学卒業するまでの7〜8年の間に、社会には大きな変化があったんですね。ちなみに私は、これまで3回転職しています。


その7〜8年の間には、リーマンショックがありましたが、これがその価値観の変化をもたらしたかは分かりません。勝手な印象ですが、ジワジワと転職に対するハードルが下がって、ジワジワと価値観が変化していっているように感じていました。


何か大きなきっかけがなくても、時間が経てば価値観は変わってきます。そんな現実を生きている我々ですが、コロナがやってきて2年以上が経過しました。生活が変わり、働き方が変わり、それによって価値観も大きく変わっていきました。恐らく、コロナ前に完全に戻ることはありません。それだけ人々の心に大きな傷跡を残した2年間だったと思います。


仮にコロナが明けたとしても、しばらくはリハビリ期間になりそうです。私自身も、しばらくはマスクをつけて生活しちゃう気がします。近くに寄ってきてヒソヒソ話してこようものなら、バックステップを踏んでしまいそうです。コロナが明けるのが楽しみなような不安なような、変な気持ちです。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。つまりはコロナもご縁ということです。



南無阿弥陀仏

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