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9月のお寺の掲示板

9/1のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日から9月に入りました。お寺の本堂にある過去帳には『関東大震災犠牲者』と書いてあり、101年前の今日に関東大震災が発生したことを改めてうかがい知れます。


私がまだ小さい頃に、曾祖母(ひいおばあちゃん)から『関東大震災が起きたときは、小さい弟を背負って急いで避難した』みたいな話を聞いたことがあります。


現代とは違って、家屋は木造ばかりだったはずで、そうなると震災に対しての恐れ方は全然違ったでしょうか。ただ現代においても、そこは麻痺することなく、良い意味できちんと恐れていたいものです。


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9月のお寺の掲示板

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さて、9月に入ったということでお寺の掲示板用の書をしたためました。ただ、書くには書いたのですが、今日は法要がある中で天気が不規則でしたので、なかなかタイミングが合わず、明日替える予定です。


6・7・8月と漢字ばかりが続いていましたので、今月はかな交じりを書こうと思い、親鸞聖人の和讃から選ばせていただきました。やっぱりかな交じりは苦手ですが、やらなきゃ成長しませんので、恥の垂れ流しをご容赦ください。


【原文】

本願力にあひぬれば

むなしくすぐるひとぞなき

功徳の寶海みちみちて

煩悩の濁水へだてなし


【意訳】

阿弥陀仏の本願のお力に出遇えば

現世をむなしく過ごす人はいない

阿弥陀仏の功徳は宝の海のように満ちていて

濁った煩悩の水が沸き起こっても分け隔てられない


この和讃は、浄土真宗の東本願寺に伝わる形においては、男性の葬儀において読まれるものです。最近は男女の差をつけずに、一律にこの和讃を読まれることも多いですが。


最初の2行においては、阿弥陀仏が誓われた『念仏を唱えたものは誰でも救う』という、本願のはたらきについて描かれています。その本願に出遇ったものはもれなく救われる、つまりは摂取不捨である、という意味ですね。


だからこそ、その本願のはたらきに摂め取られたものは、この現世をむなしく過ごすことはない、ということです。ここを、現世利益っぽく捉えるか(阿弥陀仏のはたらきに支えられて生きていこう)、それとも浄土往生のこととして捉えるか(この迷いの世界にとどまらない)、微妙に分かれるみたいです。個人的には前者ですが。


そして後半の2行は、阿弥陀仏の功徳がいかに大きくて広くて深いものかを表しています。8月に書いた『海』という字が、ここにも使われていますね。阿弥陀仏の功徳において満ちた宝の海において、我々の煩悩によって濁った水なんてへっちゃらだぜ、ということですね。まあこれにも捉え方は諸説あるみたいですが。


9月は秋のお彼岸があります。ご先祖様との仏縁を通して、また阿弥陀仏との新たなご縁を結んでいただければ、と思い今回の和讃を選んでみました。お墓参り等でお越しになる際、是非ご覧いただければ幸いでございます。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。書き言葉だけで和讃説明するのってむずいな。



南無阿弥陀仏

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