徳と得
1/7のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
数日前から気になっていた喉の調子ですが、ようやく上向きになってきた感じがします。まだまだ本調子には程遠いですし、今日だって一人じゃお聞き苦しすぎるのでお手伝いをお願いしたくらいですが、3日くらい前に比べればマシになってきました。ビックリするくらい愚直にじわじわと治癒されていくのが歯がゆいですが、こればっかりはどうしようもありません。
明日こそ、本調子に戻っていますように。
======
徳と得 ======
少し前に、ふと『功徳』という言葉に使われる『徳』と、『得意』という言葉に使われる『得』、どういう違いがあるんだろうと思いました。どっちも同じ『とく』という音ですし、意味的にも『何となく良いものっぽい』というところでは共通項がありますが、実際にどうやって使い分けているのかな、と気になりました。
今は何とも便利な時代で、この二つの言葉の意味を調べようと思ったら、ネットですぐに出て来ます。また、ご丁寧なことにその二つを比較しているブログなんかもあったりします。じゃあわざわざお前が書くことも無いだろ、と突っ込まれそうですが、私自身の勉強のため、そして私なりの解釈も残すために、引き続き筆を走らせていただきます。
まずそれぞれの言葉の意味ですが、一つの言葉でも意味はたくさんあるので少し抜粋させていただきます。『徳』というのは『立派な行いや品性・恩恵』を指すらしく、『得』は『利益を得ること・成功すること』を指すみたいです。ここまでだと、何となくですが、『徳』は定性的に良いことを指し、『得』は定量的に良いことを指している感じがします。
今度はこの二つの漢字が使われている熟語をいくつか見てみると、少し深堀りできるかもしれません。調べてみますと、『徳』には『人徳』『道徳』『恩徳』、『得』には『得意』『会得』『得策』といった言葉があります。これらを見てみると、『徳』は気付いたらそこにあるもの・付随してくる結果、『得』は掴みにいったもの・目的とした結果、という感じがしてきました。段々と本質が見えてきたような気がします。
ちなみにこの『徳』と『得』ですが、どちらも仏教で使われる言葉です。『功徳』なんかは言うまでもありませんが、悟りを開くことを『涅槃を得る』と言ったりします。ここで、ここまでの考えと照らし合わせてみると、『涅槃を得る』の方は自ら掴みにいくものですので『得』がしっくりきますが、『功徳』も自ら掴みにいっている気がして、しっくりきません。つまり本来は、『〇〇をしたら功徳があるぞ』という考えで行うことではなく、『〇〇をする』ことによって付随してくるものが『功徳』である、ということでしょうか。
そう考えると、善行というのはその先を見るのではなく、目の前のことに対して行っていくことが大切ということです。何をするにも私たち人間は、どうしても対価を要求してしまう邪な考えが頭をよぎりますが、本当の功徳を手に入れるためには、その考えすらも捨て去らないといけないのかもしれません。
みなさんは実践できておりますでしょうか。私はまだまだです。
今日もブログをお読みいただきありがとうございます。人生、これ修行ですね。
南無阿弥陀仏
-------------------------------------------------------------
Comments