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自分の癖

こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。


今日はとても暖かい日でした。花粉やホコリに弱い体質ですので、鼻が少しムズムズするような感覚がありました。スギ花粉に対するアレルギー反応は3年にも及ぶ舌下錠で軽減したものの、他のものには未だに反応してしまいます。マスクも不織布ではなく、洗えるタイプですので目が粗いんでしょうか、ムズムズが止まりません。


寒すぎるのは嫌ですが、もう11月も下旬になりますのでもう少し寒くなってくれると嬉しいです。新居の床暖房も、今か今かと出番を待っていますので。


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自分の癖は自分では分からない

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さて、本日は木曜日でしたので声明学園でした。本来は午前中に書道がありますが、諸々バタバタしておりましたので明日に振り替えました。


本日の声明学園、私が所属する一年生の授業は『阿弥陀経読法』でした。仏説阿弥陀経は浄土三部経の一つで、浄土真宗では一番読まれるお経だと思います。法善寺でも年忌法要では必ず読んでおりますし、年間を通せば大変な数読んでいるはずです。一番慣れ親しんでいると言っても過言ではないお経ですので、少し舐めておりましたが、改めて授業を受けると色々な再発見があったりします。


今日、私が先生からご指導いただいたのは主に2点です。


一つ目は、読経のスピードが速くなるタイミングが早すぎるという事。ゆっくり読む行数をもう少し増やさないと、急に早くなった感がするとのことでした。浄土三部経の中では最も短いお経とはいえ、一人で最初から最後まで読むのはそれなりに疲れます。ましてや年忌法要が1日に何件も入っている日は、気付かない内にどんどんと速くなってしまっていますので、速くなりすぎないように注意しなければ、と思いました。


そして二つ目は、息継ぎをする前の音が大きくなってしまうという事。お経は『雨だれ調子』で読む、つまりは音の高低や大小を付けずに読むのが良いとされているのですが、私は息継ぎをする前の音を強く当ててしまう癖があります。親父にも注意されたことがあって昔は意識していたんですが、最近は意識しておりませんでしたので癖が復活しているという事でしょうか。


この癖の言い訳をさせて頂くと、これは完全に祖父の影響です。祖父も息継ぎの前の音を強く当てる癖がありました。複数人で読んでいると『あ、ここで息継ぎしたな』というのが分かりやすいので、私はそれが正解だと思っていた時期がありました。息継ぎのタイミングが被ってしまうと音が途絶えてしまうため、それを避けるためにわざと声を大きくしているんだと思っていましたが、ただの癖だったらしく、宜しくないことみたいです。改めて意識して直すようにします。


癖だったり人の性格だったり、自分ではそんなつもりはないのに出てしまうことがあります。だからこそ自分ひとりでは直すのが難しかったりしますが、人から言ってもらえることで気付くことが出来ます。正直、指導されると一瞬『いや、そんなことないはずだ』という気持ちも芽生えますが、やっぱり周りからの俯瞰した視点の方が正しいので、出来るだけ素直な気持ちで受け止めます。


そういえばなんかの本で(宇宙兄弟だったかな?マンガかい)、『あなたについて二人以上が同じことを言っていたら、それは真実だ』みたいなセリフがありました。これを自分に当てはめると、いくつか自分自身の真実が見えてきます。


声低い、まじめ、足遅い、頭おかしい、、、


なんかあんまり褒められていない気もしますが、これらがきっと真実なんでしょう。頭おかしいとか変わってるとか、よく言われますが、人って知れば知るほどどこか頭がおかしかったり変わったりしているので、これは人類みんなそうなんじゃないかと思っています。何の変哲もない人にも『逆に変わってる』とか言うくらいですので、あんまり気にしていません。


ただ、やっぱり何歳になっても学び続ける姿勢は忘れずにいたいと思います。これから年を取ったり住職になったりすると、なかなか人様から何かを言われるという事がなくなってくるかもしれません。裸の王様にならないよう、周りから色々と教えてもらえるようなキャラ設定でいようと思います。


今日はお寺でブログを書いていますので、久々のパソコンでの作業。やっぱり捗りました。


ではこれから、書道頑張ります。

 

 

南無阿弥陀仏

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