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『これからの寺院』

5/14のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


最近のニュースが、コロナや不倫や何やらで足を引っ張り合うものばかり。あまりにもすさんでいて見てられなかったので、ネットで『良いニュース』と検索したら、イギリスで食肉処理場に運ばれていた豚が逃走して、それを発見した女性がその豚を飼うことにした、というニュースが出て来ました。心が洗われるようです。ありがとうございます。


コロナの影響が最も大きいですが、日本のこの『前進してない感』による最近の閉塞感たるや半端なくて、個人的に正直言って精神的に結構しんどいです。気分転換のため、短い時間でも良いから海でも見に行こうかと妻と話をしていました。東京から少し離れてしまうかもしれませんが、精神衛生上必要な行為だと思うので、見逃して下さい。お願いします。



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『これからの寺院』

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今日は暖かい一日でした。東京の最高気温は27℃という事で、もう夏は目の前と言った感じでしょうか。九州の一部では梅雨入りした地域もあるそうで、こちらにもそろそろあのジメジメ君がやってきそうです。


そんな今日でしたが、大変お世話になっているお坊さんからとある冊子を頂いたので読んでみました。当時の真宗大谷派・教学研究所分室によって、昭和34年に発行された古い冊子で、タイトルは『これからの寺院』です。実物ではなくスキャンデータを頂いたのですが、その当時のお坊さんや建築士から見る、これからの寺院建築について書かれていました。

およそ60年前に発行されたものですので情報自体は古いかもしれませんが、寺院として変わってはいけない考え方であったり、寺院らしい建築とは?というテーマで話されている座談会の内容なんかは、とても勉強になります。現代においても、その考え方は参考になるものばかりです。


ちなみにその座談会に、私の祖父(静麿)もメンバーとして名を連ねていました。じいちゃんはこんなこと考えてたのか、と生前の祖父の様子を知ることが出来て、それも嬉しく思いました。


詳細は省きますが、その座談会の中で、寺院らしい建築をすれば寺院になるのではなく、そこで何をするかによって寺院らしさが滲み出てくる、といったお話がありました。都内ではあまり珍しくなくなってきた、一件ビルの様な寺院が当時としては相当珍しかったのは想像つきますが、そういった近代的な寺院について言及されたシーンでした。


また、伝統的な建築に固執しなくても、寺院としての役割(儀式、教化、公的性など)をきちんと踏まえた建物を作れば、それはやはり寺院らしさが出て来る、というお話もありました。機能美と言いますか、必要なものを具えていけば、おのずとお寺になっていく、ということでしょうか。


どちらもまさにその通りだなと思い、頷きながら読んでしまいました。あまり古来のお寺の形にこだわる必要はなくて、大事なのはそこで何を成すかです。法善寺の場合はそこにプラスして、折角お寺に来たんだから非日常感を味わってほしいなという気持ちもあります。別に敷居を上げるという意味ではありませんが、お寺に入った瞬間に別世界に来たような、少し襟を正して背筋を伸ばすようなお寺にしたいという話は、毎度毎度設計事務所さんともさせて頂いております。


つまり、建ったら『お寺になる』のではなく、日頃の行為によって『お寺になっていく』ということです。そういう意味でも、建て替えをしたら何をするのか、日々の仕事でどう動くのか、お越しになった方々はどういう動きをするのか、どういう体験をするのか、その辺りのデザインをきちんと詰めていかないといけないなと改めて思いました。


立派なものが建ちました、チャンチャン、と終わるのではなく(#古い)、そこから先の100年を見据えて引き続き建て替え計画に頭絞っていきます。お楽しみに。。。



南無阿弥陀仏

 

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