お寺と池と鯉
6/16のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日は朝から事件が発生しました。本堂前の池の排水用の筒が倒れてしまい、池の水がほとんど抜けてしまっていました。排水用の筒は普段は立っていて、その高さに達した時に初めて排水される仕組みみたいなんですが、それが倒れたことによって、風呂と同じように水底レベルから排水されてしまいました。筒が倒れた原因は不明ですが、鯉は今産卵期なので、その行動の中でぶつかってしまったんじゃないか、とのことです。
兎にも角にも、母が急いで対応してくれて助かりました。とりあえず水道水を流し込み、カルキ抜き用の中和剤をぶち込んで、何とか午後には事なきを得ていました。幸い、現時点では死んでしまった鯉は確認されておりませんが、数時間ほぼ水が無い中に放置されていましたので、ダメージは少なからずあったはずです。引き続き経過を観察してまいります。
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お寺と池と鯉
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今回はこんな事件が起きてしまいましたが、鯉は普段は大人しいものです。ただやはり生き物ですので気を使うところがそれなりにあるわけですが、その役割は主に母が担ってくれているおかげで私は平穏な気持ちで鯉を眺めていられます。
そんな母のおかげもあり、鯉は普段は元気そうに泳いでいます。近所では『鯉のお寺』と認識されている方も少なくなく、近所の保育園のお散歩ルートになっていたり、幼稚園帰りと思われる親子が池によって鯉を見ていかれる光景は毎日のように拝見出来ます。ふと公園であった子連れの親御さんとお話ししていると、『え、あの鯉のお寺の人なんですか?』と言われたりします。
地方では、池があって鯉がいるお寺もあまり珍しくはないのかもしれませんが、特に法善寺の近所ではとても珍しいものです。ちなみにお寺にある『鯉』と『池』ですが、これらは二河白道に説かれる、阿弥陀仏の『(極楽浄土に)来い』と、お釈迦さまの『(極楽浄土に)行け』を暗喩している(ダジャレ)、という説もあるそうです。
この説が本当なのかどうかはわかりませんが、お寺と池と鯉の相性が良さそうなのは肌感覚で実感しています。静かに優雅に泳ぐ鯉を見れば心が落ち着きますし、それを経てからの法要やお墓参りは、そのまま落ち着いた心持ちで臨むことが出来るはずです。
建替えをしても、法善寺の鯉たちは大事にしていきたいなと思います。そのためには、今回の危機を何とか無事に乗り越えて欲しいです。私より年上もいるくらい、鯉は寿命が長く生命力が強い生き物です。祈ることしかできませんが、頑張ってまた優雅な姿を見せて続けてほしいと思います。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。頑張ってほしい。
南無阿弥陀仏
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