お寺の普遍的な想い
1/7のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
昨日の大雪の影響激しく、今日の東京は寒くて地面がつるつるで昨日よりも危険でした。朝方でも日向のところは雪が解けていましたが、日陰のところはさっぱりで、子供を保育園に連れていく道のりが果てしなく危険で長く感じました。
幸いめちゃくちゃ気を使って歩いたので何ともありませんでしたが、お寺に行く道もつるつる。お寺に着いてからも庭がつるつるで、朝から雪かき(というか氷かき)をしたり、凍った地面にお湯をかけたりしてとりあえずお墓参りまでの道筋は作りました。雪国だとお湯をかけたところでまた凍ってしまうのでしょうが、言っても東京はそこまで寒くは無いのでべちょべちょになって終わりです。1年に1回あるかないかの仕事でしたが、割と楽しくできました。明日には解けているでしょう。
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お寺の普遍的な想い
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さて、そんな今日は、お寺の参道づくりが終わった後にジムに行ってきました。今年初めてのジムでしたが、そこまで時間は無かったので運動はせずに大浴場でサウナに入ってきました。まるでおじいさんのようなジム活用方法ですが、とても贅沢な気持ちになりましたので、またやってみたいと思います。
お寺に戻ってからは、資料を作って金融機関との打合せをしました。いよいよ今年から庫裏・客殿の建替えが始まる予定ですので、そこに向けての打合せです。お寺は金融機関からすれば信用を得難い法人ではあるのですが(法人税支払ってない、担保が取りにくい、など)、様々なご縁を頂いて何とか話が前に進んでいます。周りのお寺さんに聞いてもなかなかのレアケースですので、本当に有難い限りです。
まだまだ油断はできませんが、ここ数年は割りと収支状況は順調なので、今年度もこのまま行ければ大丈夫そうです。まだまだ油断はできませんが(2回目)、少し胸をなでおろしたのも事実です。引き続き話し合いを進めていきます。
少し話は逸れますが、先日、お檀家さんのご自宅にお邪魔した際に、古い法善寺の資料を色々と譲っていただきました。中には昭和43年に本堂を建立したときの落慶法要のパンフレットがあり、とても興味深い内容でした。設計者さんや総代さんがどのような想いで本堂建築を進めていったのかが細かく書かれていましたが、その当時から『若い世代に開けたお寺にしなければいけない』と書いてあり、時代が流れてもこの課題は普遍的なんだなという事を改めて思い知らされました。
ちなみに昭和43年に建てられた本堂ですが、世話人会に話が上がったのは昭和37年だったそうです。構想6年という事ですが、今回の庫裏・客殿の建替えも同じような期間になりそうです。やっぱり建替えというのは、それだけ壮大なことだという事ですね。
また昭和43年は、現在まで続いている声明学園が始まった年でもあります。建替えも声明学園も祖父が率先して行ったことですので、この時期は相当に多忙だったんだろうなという事が想像できます。当時で大体40歳くらいだったはずですから、まだまだ若くてエネルギッシュだったんでしょう。そういう意味でも、今の私と状況は似ているのかもしれません。
温故知新とは少し違うかもしれませんが、昔の祖父の頑張りを知ることで、自分自身ももっと頑張れそうな気がします。建替え後には今のお寺ではできなかったような事業も始めていく予定ですので、ここから5年くらいは踏ん張り時です。
祖父に負けない頑張りを見せて、法善寺をこれまでよりももっと盛り上げていきます。頑張ります。
南無阿弥陀仏
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