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お経とは縦糸である

9/25のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


怒涛の土日が過ぎ去り、今日はゆっくりとした月曜日でした。お彼岸期間中なのは変わりませんが、ここまで来ると流石に人でも少なくなってきます。それでも、今日しか来られない方や、気持ちの良い気候を待ちわびた方もいたりして、きちんとご対応させていただきました。


お彼岸初日から置いてある手作りケースやポーチ、そして食器類ですが、お陰様でほとんどなくなりました。残っているのは食器類数点だけ、皆様のご協力に感謝でございます。どうぞ大事に使ってやってください。


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お経とは縦糸である

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仏教で読まれているお経ですが、これはお釈迦様の教えのことを指しています。そしてこの『経』には『縦糸』という意味があるそうです。


地球の座標を示す際に使われる『経線』は、北極と南極を結ぶ縦線のことですが、ここにも同じ字源から『経』という字が使われています。


お経がなんで縦糸かと言うと、それは『いつの時代も変わらないものだから』と私は習いました。お経は不変的な真理だし、糸が上から下に垂れるのもいつの時代であっても不変的である、ということです。こういう表現がなんかオシャレだなぁと感じるのは、私だけでしょうか。


ちなみに中島みゆきさんの歌で『糸』というのがありますが、その中で『縦の糸はあなた、横の糸は私』という歌詞があります。仏教的に言えば、仏様の教えという縦の糸があるからこそ、我々人間は横の糸でいられる、ということかなと私は勝手に頂いております。お経に支えられているのが我々人間である、と。


お経に比べると、我々人間の価値観というのは何と可変的なものでしょうか。


つい10年くらい前までは、『自然環境保護のため、割り箸は使わずにマイ箸を携帯しましょう』みたいな風潮がありましたが、今は『割り箸は間伐材を使っているので、積極的に使っていきましょう』となる始末です。


今流行りのEVやプラスチックごみだって、結局は何かしらのビジネスに結びついており、これが10年後20年後にどうなっているかは分かりません。もちろん環境に配慮するのは大切ですが、その方向性はちょこちょこ変わるものです。いつの時代でも、絶対的に良い、という存在を見つけることは困難なものです。


かと言って、不変的なものばかりに囲まれて生きていくわけにはいきません。可変的なものや価値観にも触れながら、生きていくしかありません。そこの見極めがとても大切であり、人生の大きなテーマだよなぁと考えるここ最近でございました。


本日もブログをお読みいただきありがとうございます。それにしてもお経が縦糸はオシャレだなぁ。



南無阿弥陀仏

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