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お経の解説シリーズ③ 無量寿経

こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日は久々の雨でした。雪が降るかも?という予報でしたが私が見る限り確認できず、それは明日に繰り越しになりそうです。雨だと傘をさすのが面倒ではありますが、久々という事で乾ききったアスファルトも喜んでいたような気がします。


そんな今日は法事があり、午後の空いた時間は書道の課題をせっせと取り組んでいました。とりあえずは半紙の楷書と行草体、それと細楷(写経用紙に漢詩を楷書で臨書)は形になりましたので、残る課題は4つとなりました。火曜か水曜に提出する予定ですので良いペースかと思いきや、条幅という大物の課題には手を付けていませんのでまだまだ先は長そうです。


明日も法事があり、週明けも色々と予定が入っていてバタバタしそうです。お待たせしている立場ですので、サボらず時間を見つけて頑張ります。



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お経の解説シリーズ③ 無量寿経

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さて、3日ぶりとなりましたがお経の解説シリーズを再開します。今日は『無量寿経』をエクストリームでご紹介します。


前もって断りを入れさせていただきますが、この『無量寿経』はめちゃくちゃ長いお経ですので細かい箇所には触れず、お経の概要と伝えたいことをかいつまんでお届けします。フルバージョンが知りたいよ!という方は、現代語訳も出ておりますので、どうぞAmazonなりでお買い求めください。長いですが、結構面白いと思います。


ではでは、、、


まず現代の我々が一般的に頂いている『無量寿経』ですが、康僧鎧(こうそうがい)という方が訳されたものになります。『え、誰が訳したとか重要なの?』と思う方もいらっしゃると思いますが(私もそうでした)、これが意外と重要なんです。というのも、お経の原文はインドの古い言語(サンスクリット語やらパーリ語やら)ですが、それが訳されたときに微妙に意味が変わることが多々あるからです。


例えば、この康僧鎧が訳した『無量寿経』には四十八願という法蔵菩薩の願い(誓い)が書かれていますが、他の方の訳だと二十四願だったり三十六願だったりするそうです。そこまで変わるの?と驚いてしまいますよね。


ちなみにイスラム教の聖典は『コーラン(クルアーン)』ですが、厳密にいうとアラビア語で書かれたものしか『コーラン(クルアーン)』として認められないそうです。もちろん各地の言葉に訳されていて世界中の方がイスラム教の教えに触れられますが、その真髄を知りたいならアラビア語を習得しなければいけないそうです。このようにイスラム教はとても厳密ですが、仏教は漢訳されたものを『お経』として頂いていて、これも何だか不思議な感じがします。


すみません、話を戻します。


この『無量寿経』ですが、前半は主に極楽浄土がどのように成立したか、後半はどうしたら衆生は極楽浄土に生まれることが出来るのか、が説かれています。インドの霊鷲山という場所で、31人の直弟子や多くの菩薩方などに向けて説かれています。


阿弥陀仏が仏となる前は、法蔵(ほうぞう)という修行者でした。そこで世自在王仏(せじざいおうぶつ)に出会い、心の深い部分が目覚めて菩提心をおこされました。この『菩提心』というのは仏教においてとても大事なキーワードで、平たく言えば『悟りを求める心』のことです。まずはこの心を抱くことが、仏教におけるスタート地点と言えるかもしれません。


菩提心をおこした法蔵は48個の願いを立てて、世自在王仏に『これらが成就しなければ仏になりません』と誓われました。この48個の願いを『本願』と言い、全ての人々が安楽な世界に平等に救い取られるために建てられたものです。(プチ情報ですが、『安楽寺』というお寺の名前が日本では一番多いそうです)


そしてこの本願を、永い永い間思惟し修行し、そして無事に成就されて法蔵は阿弥陀仏となられました。この『アミダ』という言葉ですが、量り知れない光を表す『アミターバ』と、量り知れない寿命を表す『アミターユス』から来ています。無量光は『どこでも、だれでも』、無量寿は『いつでも』を意味していまして、誰もが救われるんだよ、という『摂取不捨』を表しています。このことからも、阿弥陀仏は『慈悲の仏』と言われたりもします。


この48個の本願の中でも、浄土真宗の場合は特に『第十八願』を大事に考えています。それは『心から信じて私の国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生まれることができないようなら、私は決してさとりを開かない』というものですので、私たち衆生はこの本願に依る形でお念仏を称えているんです。


この『無量寿経』の最後には、このお経が末永くこの世で説かれ続けられますようにという願いを込めて、釈尊がお経を主に弥勒(みろく)菩薩に委嘱されています。この弥勒菩薩と言うのは今は兜率天と言う場所で修行されていて、56億7千万年後にこの地上に降り立つと言われている未来仏です。未来永劫語り継がれるように、弥勒菩薩に託されたんですね。


またこの無量寿経では、『信心歓喜』という言葉も重要なポイントです。『信心歓喜』とは阿弥陀仏を信じる心がおこり、喜びの気持ちが溢れて来るという意味ですが、『無量寿経』となった釈尊の説法を聞いた弟子たちは、阿弥陀仏の慈悲の心に触れて、心から喜びの気持ちが生またのではないでしょうか。


いかがでしたでしょうか。かなりエクストリームだったとは思いますが、何故『無量寿経』が浄土三部経に選び取られたお経なのか、少しでもご理解いただけたら幸いです。また、もう知ってるよ!という方にとっては物足りない内容だったかもしれませんが、ご容赦ください。


明日以降、次は『観無量寿経』を解説していきます。もちろんエクストリームで。

お楽しみに。



南無阿弥陀仏

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