top of page

ちょっと寄り道編

こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


本日は年忌法要があり、これで年内は最後となりました。最後の法要がリモートという、何とも今年らしい終わり方だったかもしれません。


昨年の今頃は、まさか1年後にこんなことになっているとは思いもよりませんでした。何から何まで予想外の年、それが2020年だったんじゃないでしょうか。


来年はどんな年になるのでしょうか。正直言って、今年は『良い年でした』と言うには色々なことがありすぎましたので、来年こそ声を大にして『良い年でした!』と言える1年になればいいなと思います。


=============

ちょっと寄り道

=============


2年前の旅を振り返るシリーズも、今日で最終回です。10泊11日の旅、浄土真宗とは直接的な関係の無いお寺にも足を運びましたので、それを『ちょっと寄り道編』と題してお送りします。


さて、相変わらず注意書きは変わりません。あしからず。


今回のシリーズはあくまで『振り返り』ですので、いま旅に出ているわけではありません。私は東京にいます。また、実際に私が訪れた順番ではなくて、まとめるために関連性から順番を決めています。ご容赦ください。ちなみに写真は、全て私が(多分)撮影したものです。


では、行きます。



『高野山』(和歌山県伊都郡)

~空海修業の地・日本仏教の聖地の一つ~

↑大門

↑高野山真言宗総本山・金剛峯寺

↑金剛峯寺の経蔵

↑金剛峯寺の蟠龍庭

↑三鈷杵

↑奥之院へ続く道

↑奥之院前(御廟橋)

↑生身供を運ぶ僧侶(戻り)

↑金剛峯寺の壇上伽藍(中門)

↑金剛峯寺の壇上伽藍(金堂)

↑金剛峯寺の壇上伽藍(西塔)

↑金剛峯寺の壇上伽藍(根本大塔)

↑金剛峯寺の壇上伽藍(東塔)

大門南駐車場からの景色


『高野山』自体は、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指しています。平安時代の弘仁7年(816)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)がこの地を下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つです。


現在は『壇上伽藍』と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成しています。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号・高野山)、大本山宝寿院の他、子院が117 ヶ寺もあり、その約半数が宿坊を兼ねています。ちなみに私はお金をケチって、宿坊ではなく安いゲストハウスに泊まりました(朝食込み4,100円)


金剛峯寺にある三又の矛は『三鈷杵(さんこしょ)』と言い、その昔空海が自身の教えを広める地を選ぶ際に天に投げ、それがこの高野山の土地に落ちたことから、空海は高野山を自身の活動の拠点としたと言われています。


奥の院では、即身仏となった弘法大師空海が未だに生きていると伝えられ、毎日朝6 時と10 時30 分に生身供(しょうじんく)という食事を運んでいます。


私は夕方ごろに高野山のゲストハウスに到着し、その足で恵光院というお寺からスタートする奥の院へのナイトツアーに参加しました。夜道に墓地を通って奥之院まで歩くのはなかなかスリリングでしたが、夜ならではの景色も見ることが出来、とても面白かったです。

奥之院自体もとてもキレイで素晴らしかったのですが、神聖な場所という事で撮影禁止の場所ばかりでした。興味のある方は是非現地に行って見てみてください。



『本䏻寺』(京都市中京区)

~信長暗殺『本能寺の変』の舞台~

↑正面

↑総門

↑本堂

↑織田信長公廟


本能寺は、京都府京都市中京区下本能寺前町にある法華宗本門流の大本山です。『本能寺の変』の舞台として知らない人はいないんじゃないでしょうか。現在は寺院内に、恵昇院、蓮承院、定性院、高俊院、本行院、源妙院、龍雲院の7院の塔頭(たっちゅう)があるそうです。


織田信長は、土地と兵力を蓄えて大名と並ぶ力を持っていた大寺が、為政者の命令に従わないこともあったため、比叡山を焼き払い、一向宗徒を征服し、奈良の大寺を撃ち、高野山に攻め入るなどの宗教弾圧を行なったとされています。


境内には、信長の自刃後、三男・信孝の命によって建てられた信長公廟がありますが、遺体は見つかっていないためここに遺骨があるわけではありません。また、実際には信長が暗殺された当時の本能寺はこの場所ではなかったそうです。本能寺の変より後の天正10年(1582)に、豊臣秀吉の都市計画により現在地へ移動したとのことです。


京都市内を回っているときに時間に余裕があり、近くにいたので寄ってみました。想像していたよりも街中にあるお寺で、あの有名な本能寺の変の舞台がこんな場所にあるのか、と驚きました。現在、本能寺の能の字は『 䏻』と書きますが、これは5度にも及ぶ火災のせいで、火(ヒ)を嫌ったため、この字に替えられたそうです。



高野山は一生に一度は行く価値があるんじゃないでしょうか。普通は最寄駅からケーブルカーでいけるそうですが、私が伺った時はお休みでしたので臨時のバスで向かいました。山の中に小さな町があり、そこ一帯を『高野山』と呼んで多くのお寺が点在しています。とても1日じゃ回りきれる広さではありませんので、3泊くらいしながらゆっくりと見て回るのが良いと思います。


旅の振り返り、何とか年内に終えることが出来ました。まさかこんな長引くとは思いませんでしたが、とりあえず終えられてよかったです。


こうやって振り返ると、コロナが明けたら、お寺や家族と相談しながら、またこういう旅に出てみたいなと思いました。もしかしたら丁度1年後は旅をしているかもしれませんね。そんな年になれば嬉しいです。


今日が最後と言いましたが、明日は『番外編』として泊まった宿を紹介していきます。今度こそ最後です。お付き合いくださいませ。



南無阿弥陀仏

Comentarios


特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
bottom of page