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どうにもならん子供達

3/4のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日はR-1グランプリがあったそうです。正直言ってあまり興味がないのですが、昨年の同時期にコロナに罹患してホテル療養していまして、部屋からは出られないしネットは遅いしで、やることがなさ過ぎて生まれて初めてR-1を最初から最後まで見たことを思い出しました。あれから1年が経ちました。


今月13日からはマスク着用も個人の判断に委ねられるなど、世の中もだんだんと前に進んできている感じがします。ただ、私も出来ればその日からマスクを外して生活したいのですが、花粉のせいで4月中旬くらいまではマスク生活のままになりそうです。ある意味それは毎年のことなので別に良いのですが、嫌なのが、私のように恐らく花粉が原因でマスクを外せない人がたくさんいるであろうにも関わらず、街中の人たちがみんなマスクを着用している様子だけをニュースやワイドショーがテレビで放映し、『やっぱり、日本人はみんなマスクを外しませんね』みたいな風潮を作ってしまうだろう、というところです。


予め言っておきますが、3月13日以降もマスクを着けているのは、コロナのせいではなく、花粉のせいでございます。以後お見知り置きを。


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どうにもならん子供達

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先日、子供達とまとまった時間を過ごす機会がありました。仕事柄、一般的なサラリーマンの方々と比べれば、普段から子供達と接する時間は多い方だとは思いますが、決まった休みがない分、逆にまとまっては時間が取れていない、というのが現状です。


子供と長い時間を過ごすと色々なことが起こります。めちゃくちゃ笑うこともあれば、めちゃくちゃイライラすることもあります。まだまだ知恵の働くような年齢じゃないのでどれもこれも不可抗力なのですが、遊びに付き合うことでの体力的な負担、また感情の激しい起伏による精神的な負担、どちらも相当なものです。保育士さんって、本当に大変な仕事だということが分かります。


段々とこちらの言うことを理解してきているとはいえ、言うことを素直に聞くかどうかは別問題です。こちらの思い通りに動くことなどほとんどなく、こちらもあの手この手を駆使してみますが、成就することは稀です。それによって感情を揺さぶられるわけですが、同時に『そういうもんだよな』と少し悟ったような気持ちにもなったりします。


このとても便利な現代において、我々は『何でもできる』と勘違いしてしまいがちです。生活は豊かになり、物にあふれ、食べるものに困ることはほとんどありません。外が暑けりゃ冷房を入れてかき氷を食べますし、外が寒けりゃ暖房を入れて温かいお茶を飲んでます。


ただ実際には、思い通りにならないことで溢れているのが現実なはずです。病気にかかったり、近しい人が亡くなったり、嫌な人が近付いてきたり。そういった苦しみに蓋をして、遠ざけて、出来るだけ考えないようにして生活をしています。それでも絶対に避けられるはずもなく、ある日突然現実を思い知らされるわけです。


子供と一緒にいると、世の中にはそういった『どうにもならんこと』に溢れていることを改めて教えられます。そして、そんなこと分かっているはずなのに、揺さぶられてしまう自分の凡夫っぷりにも気が付きます。どちらもホント嫌になってしまいますが、どちらも受け入れて生きていくしかありません。そんな考えを繰り返しながら、今日も1日を過ごしたりしております。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。瞋恚が強い今日この頃です。


南無阿弥陀仏

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