なんとなく、に従う心
6/11のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日は、以前葬儀の式務をさせていただいたお寺さんの、満中陰法要がございました。今回は式務、という感じではありませんでしたが、裏の方をお手伝いさせていただき、無事に終えることが出来ました。改めて、このような機会を頂けたことに感謝でございます。
これにて私の式務デビューは一段落となった感じでしょうか。本当に色々学ばせていただきましたし、自信もついたと思います。ただ、まだまだ未熟ですので引き続き精進してまいります。
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なんとなく、に従う心 ==================
息子が幼稚園に通うようになって2か月が過ぎました。毎日楽しそうに通園してますし、(私は行けていないので動画でしか見られていませんが)保育参観でも楽しそうな姿を見せてくれています。息子は何かに熱中する職人気質ではなく、周りの子を巻き込んで楽しむタイプみたいです。
その幼稚園は、他宗ではありますがお寺がやっている幼稚園ということもあり、宗教教育にも取り組んでくれています。その一環として歌があるみたいですが、息子も楽しそうに歌ってくれたりします。
そんな歌の中に『のの様』という言葉が登場してきます。最初は『観音様』のことかなぁと思っていたのですが(他宗だし)、よくよく調べると『日・月・神・仏など、尊ぶべきものをさしていう幼児語(by デジタル大辞泉)』ということみたいです。仏様や神様も含まれる、思ったよりも深い意味を持つ言葉でびっくりしましたが、小さいころから身近にそういった存在を感じる言葉としては、良い語感だなぁと思っています。
とまぁ、小さい子供にこんなことを言っても分からないとは思いますが、初めは『なんとなく』で良いんじゃないでしょうか。理論武装していくことも大事ですが、理論だけで宗教が広まったわけでは決してなく、頭ではなく心が『なんとなく』求めてきた結果が今だと思います。
お墓参りも、葬儀も、年忌法要も、毎日お仏壇に手を合わせるのも、それらをすることに言語化できる明確な理由があることも素晴らしいですが、『なんとなく心が落ち着く』という理由もそれと同じように素晴らしいと思います。何事も可視化され言語化される現代ですが、一度立ち止まって、『なんとなく』の重要性を見つめ直してみてはいかがでしょうか。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。考えるな、感じろ。by ブルース・リー
南無阿弥陀仏
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