やっぱり喉が飛んだ
11/16のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日は、マイク・タイソンの試合がネットフリックスでライブ中継されていました。タイミング合わず見逃し配信を観ましたが、なんと言ったら良いのかわからない試合(試合と言って良いのかもわからない幕切れ)でした。
一つ分かったのは、あのタイソンと言えども老いるということでしょうか。私自身も、30代も中盤を過ぎてひしひしと感じるこの事実、なんとか抗いたいと思いながらとどうしようもない事もあり、現実を少しずつ受け入れていく毎日です。
なんにせよ、マイク・タイソンさん、ジェイク・ポールさん、お疲れ様でございました。
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やっぱり喉が飛んだ
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一昨日ぐらいから怪しかった私の喉の調子ですが、今朝起きたら案の定声が飛んでいました。少なくなったとはいえ、年に2, 3回は訪れるこの現象、まだまだ鍛錬が足りないということでしょうか。
そんな今日、私の曾祖母の23回忌の法要が入っておりました。身内の法事だったのでなんとかしましたが、明日以降はそうはいきません。親戚にヘルプを頼んで、必死に乗り切ろうと思っています。申し訳ないのですが、声明の会は声をセーブしながらお勤めいたしますので、ご容赦ください。
喉を痛めるということは、鍛錬が足りない、もしくは使い方が悪いということになります。前者の可能性も大いにありますが、後者についても考えを巡らせなければいけません。
思い返すと、私の祖父は肺がんをして肺が半分以上なく、年老いていた状態にも関わらず、とても響いた声色で法要を勤めておりました。おそらくあれは、無理のない声の出し方で、体を上手に楽器のように響かせて使っていたからだと思います。
その意識を全くしていないわけではありませんが、まだまだ習得するには難しそうです。祖父曰く、人間の頭の中には空洞がいくつも存在するそうで、そこで音を響かせていたみたいです。まさに楽器です。
ここから先のお坊さん人生を考えると、若さに頼りきれなくなる日が必ず訪れるはずです。その日に向けての準備のつもりで、なんとか体を楽器として響かせる方法を習得したいものです。
希望的観測で、明日にはこの喉は良くなっていると思っているのですが、実際どうなるかの保証はありません。1日も早く元の声に戻るよう、氷を舐めたり、水を飲んだり、蜂蜜舐めたり、頑張って療養します。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。皆さんも喉を大事にお過ごしください。
南無阿弥陀仏
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