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ギックリ腰になって見えて来たもの

7/1のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


下半期最初の日を、まさかのギックリ腰状態で迎えることとなってしまいました。腰の状況は昨日から変わらずか、むしろ朝一は身体が固まっているので、よりひどく感じました。時間が経ち、夕方にまたカイロに行ってからは少し良くなった気がしますが、まだまだ日常生活を問題なく過ごすには程遠いです。


今朝の痛み・状態が100だとすれば、今は80くらいでしょうか。発症してから72時間は炎症が続くみたいなので、明日一杯で治ってくれることを祈っています。


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ギックリ話

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何を隠そう、ちょうど一ヶ月くらい前には妻がギックリ腰と戦っていました。妻も、というか中山家みんな同じカイロに通っているのですが、先生からは『仲が良いんですね』と言われてしまいましたが、それだけボロボロだという事でしょうか。


私の腰も、自分では相当な痛みだと思っていましたが、先生曰く妻の方が全然ひどかったそうです。そんな中でも家事や育児を頑張ってくれて、本当に感謝しかありません。


また、ギックリになって一日経ち分かったのが、腰は腰でも全体的にではなくて左側が特にひどいという事です。最近ずっと左の大腿部や臀部が凝っていたので、その固まった筋肉によって引っ張られたんだと思います。そう考えると、身体は前から危険信号を発信していて、それを私が真剣に受け止めていなかっただけなのかもしれません。何だか申し訳ない気持ちになりました。


30歳を過ぎてから、以前みたいに無茶を出来なくなりました。正確に言えば、無茶は出来ますが、そのツケがきっちりと返ってくるようになりました。痛いのに無理をして動いたり、眠いのにろくに寝ずに働いたり、お腹いっぱいなのに無理やり詰め込んだり、これらのことが清算されず、きっちりと後日お返しが現れます。体との付き合い方を本当に考え直さないといけない時期に来たのかもしれませんん。


まだ33歳なのに、と思う事もありますが、建築物で考えれば大規模修繕が必要なのが大体30年です。お寺の前の小学校でもやってましたが、30年を超えた建築物は大体、外壁に足場を組んで補修をしています。人間の体だけ、何もしないで良いという道理は全くありません。完全なるターニングポイントです。


建築と言えば、昨日建て替えの打ち合わせを設計事務所さんと行いました。色々ありましたが、昨日でついに基本設計は終了となりました。基本設計で間取りが決まりましたので、ここから実施設計で図面を描いていきます。まだ先は長いですが、一区切りという事でしょうか。


ただ、そんな楽しいはずの建て替え打ち合わせも、昨日はなかなか楽しめませんでした。理由は2つあります。


1つは、話が進むにつれてお金の問題や、建築期間中の生活の問題などが具体的になってきたことです。『はい、じゃあこれで行きましょう』となったからと言って一瞬で建つわけありませんし、無料なはずもありません。やっぱりこれらは向き合わないといけない問題で、一応住職としては頭が痛い所でもあります。


そして2つ目は、ギックリ腰になってしまったことです。心と身体はびっくり程リンクしているもので、この状態ではなかなか前向きな発想ができません。矯正ベルトに、腰も心も締め付けられている気分です。そういう意味でも、早く治って欲しいところです。


建替えについては、また改めて門徒の方々にはご説明差し上げようと思っています。一緒に未来を見てくださると嬉しいです。

よろしくお願いします。



南無阿弥陀仏

 

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