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凡夫の自覚と光る星

3/24ブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日はお彼岸最終日でした。今年のお彼岸は、三連休は予想通りにたくさんの方がいらっしゃいましたが、その後もまん防解除の影響か、予想よりも多くの方々がいらっしゃいました。お寺が賑わうのは嬉しいものです。


お彼岸はこれにて一段落です。次は5月の永代経法要兼、私の住職襲職奉告式がお寺としては大きな行事となります。恐らく、建替え前の現存の法善寺で行う最後の大きな法要となります。有終の美を飾れるよう、精一杯頑張ります。


法善寺の門徒さんには、本日ご案内をお送りしました。明日か明後日にはお手元に届くはずですので、ご確認ください。


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凡夫の自覚と光る星

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このお彼岸期間中、写真の作品を掲示板に飾らせていただきました。『わがこころの暗闇に気づいたら遠くで小さな星が光ります』という詩を書かせていただきました。今日は、字の良し悪しは置いておいて、この詩について少し書かせていただきます。


こちらの詩は、榎本栄一さんという方の作品です。仏教詩人と呼ばれている方で、浄土真宗に帰依されていたそうです。


以前のブログで、信仰には『迷う』『気付く』『建てる』『還る』という四段階があるというお話をさせていただきましたが、この詩はその四段階を学んだ本の中で正に紹介されていたものでした。特に、第二段階の『気付く』にフォーカスが当たった作品なのかもしれません。


『わがこころの暗闇に気づいたら』というのは、自分自身が凡夫であるということを自覚する、ということでしょうか。煩悩がどうしても捨てきれず仏の身には程遠い自分自身であること、親鸞聖人はご自身を愚禿と名乗られていましたが、その心持ちがこの凡夫の自覚だと思います。浄土真宗の場合は、悟りを得ようとする前に、まず自分自身が凡夫であることを自覚することから始まります。


そして『遠くで小さな星が光ります』というのは、そんな自分でも救ってくださる阿弥陀仏という光があることに気が付くから、じゃないでしょうか。何にも困らず、凡夫であることを自覚していない内には、なかなかこの光には気が付けません。自分の心の暗闇と対比することで、阿弥陀仏という光が見えてくるのではないでしょうか。


短いながらも、浄土真宗の教えを上手に言い表している詩だったので、このお彼岸から掲示させていただきました。ちょうど良い長さでしたし、作品にもしやすかったです。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。しばらく掲示しておりますので、法善寺にお越しの際には是非



南無阿弥陀仏

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