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コロナ感染者の葬儀の制限を大幅緩和

12/28のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


ここ最近、子供に大人の予定に付き合わせてばかりだったので、今日は午前中に家族で公園に行ってきました。いつも妻に任せっぱなしなので、私も一緒に公園に行って思いっきり遊ばせるのは久々でした。寒空のもとでしたが、とても楽しそうにしていて何よりです。


家族、特に小さい子供がいると、自分のペースで動けないことだらけです。ただその分、たくさん笑わせてもらえますし、何気ない瞬間に幸せを感じたりします。と言いながら、子供最優先なのは変わりありませんが、自分の時間も大切にしないといけません。時間は有限、戻ることもありません。今この一瞬は二度とやってこないことを噛み締めながら生きていかないといけませんね。


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コロナ感染者の葬儀の制限を大幅緩和 ==============================


先ほどネットニュースを見ていたら、コロナ感染者の葬儀の制限を大幅緩和する、という記事がありました。


コロナ禍になってもうすぐ3年が経とうとしているこのタイミングで今更感はありますが、この制限が緩和されるのは宗教者としては歓迎すべきことだと感じています。来春に、新型コロナウイルスが5類への引き下げになるというのも、この動きに関連しているのかもしれません。


これまでは、新型コロナで亡くなった場合は、基本的には家族との対面もできず、通夜や葬儀もなく火葬され、お骨になって帰ってくる、という流れでした。厄介なのが、別の原因で亡くなったと思われていた方でも、その後にPCR検査をして陽性だと分かった場合、新型コロナによる死亡と判断され、この流れに強制的に組み込まれてしまうところです。ご遺族からすると寝耳に水で、あれよあれよとお骨になってしまうわけで、何とも寂しい限りです。


私もつい先日、親族の通夜葬儀を経験しましたが、やはりあのようなお別れの場は必要だと感じました。訃報を聞いたとき、遺体がお寺に運ばれてきて対面したとき、納棺したとき、そしてそこから通夜を執り行い、葬儀をして、火葬炉に送り出したとき、こういった段階段階で故人の死をゆっくりと受け入れている自分に気が付きました。お別れの場を設けられるというのは、幸せなことなんだなと痛感しました。


特に個人的には、通夜で色んな人とお話が出来たのがとても良かったです。中には、私が子供のころにお会いしたっきりの方々もいらっしゃったりして、そういった方々とも故人を通じてお話ができるのは、何よりもご縁だなと思います。翌日の葬儀のときには、気持ちもかなり落ち着いて勤め上げることが出来ました。


人が亡くなるという事象は一瞬の出来事なのかもしれませんが、周りがその死を受け入れるのも、遺族になるのも、一瞬の出来事ではありません。時間や段階を追いながら、ゆっくりと死を受け入れ、遺族になっていくんだな、と今回の経験を通じて改めて思い知りました。なので今回の改正は、故人の周りの方々にとって、良い流れになるんじゃないかと思っています。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。今年もあと三日ですね。



南無阿弥陀仏

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