ジワジワ迫るマスク無し生活
3/15のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日はお寺では、お彼岸に向けての法具仏具のおみがきが行われました。お彼岸や報恩講など、行事ごとの前に、母と母の友人たちで、やってもらっています。おみがきがあると、いよいよ始まるんだな、という気持ちになります。
早いもので今週の土曜日からお彼岸が始まります。今年はあまり天気の良い日がなさそうな予報ですが、多くの人にお会いできることを楽しみにしております。お気をつけてお越しください。
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ジワジワ迫るマスク無し生活
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マスク着用要請が緩和されてから3日目となりました。まだまだ全員がマスクを外しているという状況には程遠いですが、以前よりもマスクを着けていない人が多くなってきた印象です。かくいう私はまだマスクを着けておりますが、これは花粉症のためですので、あしからず。ちなみに雨が降った時や、夜は、花粉も弱まりますので外しています。こんな私と同じような人は、多くいらっしゃるんじゃないでしょうか。
そんな約3年ぶりのマスクなし生活がジワジワと迫ってきているわけですが、コロナ前は素顔を出すのが当たり前だったのに、今は逆に何だか変な感じがします。なんか口元がやたらとスースーするな、いけないことしてるんじゃないかな、と思ってしまう自分がいて、その瞬間にハッと我に返ります。いやいや、これでいいんじゃないか、と。
この3年間によって考え方を変えさせられてしまったわけです。そこに恐ろしさを感じるとともに、それだけご縁というのは強いんだなということを再認識することが出来ました。仏教においては、ご縁こそが人の性格なり人格なりを形成している、という考え方がございますが、コロナ禍が今の我々の人格に影響を及ぼしていることを否定する人はいないんじゃないでしょうか。
そう考えると、やっぱり急に変わるのは難しいのかなと思います。旧来の日常が戻ってきて、今度はそっちのご縁がジワジワと私たちに影響を及ぼしてきたら、みんながマスクを外す日がやってくるのではないでしょうか。マスクが絶対悪だ!とも言えませんが、やっぱり人と人とのコミュニケーションを取る上では、マスクは不要なものかなと思います。顔を見て話す、という当たり前のことの大切さに気が付けたコロナ禍でもあったのかもしれません。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。早く花粉終わって欲しい。
南無阿弥陀仏
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