スマホが使えなかった午前中
2/19のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
昨日までの3日間、『宗教を知ろう』のパネリストの方々へのインタビュー記事を掲載しましたが、連日準備を進めています。泣いても笑ってもあと4日ですが、せっかくなら泣きたくはないのでできる限りの準備をしながら当日を迎えたいと思います。
ちなみに、まだ動画配信の方は申し込みを承っております。興味のある方は是非、よろしくお願いします。
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スマホが使えなかった午前中
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昨日、スマホの充電器が壊れてしまい、夜中全く充電することができずに朝を迎えました。困ったなと思いつつも、どうしようも出来ません。まあお寺に行けば壊れてない充電器があるからいいかと我慢しながら朝を過ごし、結局お寺に行ってからもすぐには充電もたまらないので、午前中はスマホなしの時間を過ごしました。
スマホがあると暇さえあればスマホを見てしまうタチなので、不便な午前中ではありましたが、当然といえば当然ですが、スマホが使えないくらいじゃそこまで大して困ることもありません。パソコンでネットには繋がりますし、LINEだってパソコンから使えます。むしろ動画とか見る時間がなくなって、良かったのかもしれません。
人間、モノがあればそれを使おうとしますし、時間があれば浪費してしまいます。どこかで聞いた話ですが、スーパーやコンビニなどで買い物カゴを使うと、そのカゴを埋めようという心理が働いて余計な買い物をしてしまうそうです。また、よく『1日24時間じゃ短いから、1時間でも長くならないかな』と考えてみたりしますが、恐らく無駄な1時間が増えて、『1日25時間じゃ短いから、1時間でも長くならないかな』と考えてしまうはずです。
仏教には少欲知足という言葉があります。少なきを欲し、足るを知るという意味ですが、スマホが使えない今日の午前中は、何だかその言葉が身に染みました。モノが溢れれば溢れるほど、便利になればなるほど、ありがたい事ではあるのですが、結局根本となる自分自身がどこかで満足しなければ、そこに本当の有り難みは生じません。
また、人間というのは慣れる生き物です。スマホだって、触りたての頃は『こりゃすごい機械が出てきたな、めちゃ便利やんけ』と思っていましたが、今ではそれが当たり前です。逆に、ないことに不便さを感じるくらいです。携帯にカメラが付いてはしゃいでいたあの頃が懐かしいです。
今日もブログをお読みいただきありがとうございます。身の回りのことに純粋に感謝できるようになりたいものです。
南無阿弥陀仏
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