デニムに注ぐ愛情
4/2のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
昨日のブログで、私にとっての花粉症の季節は過ぎ去った的なことを言いましたが、しっかりとモーニングアタックにやられてしまいました。
とは言ってもかなり楽になっているのは間違いありませんので、少しずつ前進しているのを喜びたいと思います。ここまできたら、もうマスクだって着けません。春の陽気と共に走り抜けてやろうと思います。
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デニムに注ぐ愛情
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完全に個人的な話になりますが、この前、新しいデニム(ジーパン)を買いました。
一年半前くらいに買ったまっさらのデニムを履き続けてきたのですが(今も履いてますが)、だいぶ色落ちしてしまったので、濃い紺色のデニムをまた履きたくなったからです。デニム履きからしたら、色落ち=味なので喜ぶべきところなのでしょうが、もちろん喜びもありますが、またまっさらなデニムを履きたくなる気持ちは抑えられません。
また、前に買ったのはジャパンメイドのデニムだったのですが、ちゃんと王道を抑えたいなと思ったのでリーバイスの501というど真ん中を買わせていただきました。前のデニムを手放すわけではないのですが、これからはこの501ちゃんも愛用していこうと思っています。
まあみなさんご存知だと思いますが、デニムというのは元々作業着として作られています。1870年代半ばにあったゴールドラッシュでの作業員用に作られたというのは有名な話だと思いますが、要は『汚してもいいですよー』と公式に謳われている数少ない洋服です。作業着でもあり、普段の洋服としても着られる、という何とも絶妙なポジショニングを得ているわけですが、履いていると、その位置どりが何とも心地よく感じます。
せっかくまっさらなデニムを買ったんだから大事に履こう、という気持ちを、いやいや本来作業着なんだからガシガシ履くのが正義だろう、という気持ちが上回るわけです。大袈裟に言えば、我が子を愛しながらも厳しく接しているような感覚になり、どんどんと愛着が湧いてきます。
ただ反対に、法要などで使う法衣は、大事に着ることが大正義です。ビジネススーツもそうかもしれませんが、大きな動きをする時には着られませんし、畳み方を間違えればシワになりますし、シワがついたまま人前に出れば見窄らしいと言われてしまいます。デニムの味とは全く逆の世界ですが、こっちはこっちで箱入り娘に注ぐような愛情をかけるわけです。
個人的にはデニムにかける愛情の形の方が性に合っている気がしますが、どちらが正解ということもありません。自分はどちらの愛情も注ぐことができる、ありがたい立場にいるのかもしれないなと思いながら、4月もデニムを履きながら着物を着ていこうと思います。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。デニムには育って欲しいような、育ってほしくないような、不思議な気持ちです。
南無阿弥陀仏
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