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ハリのある書道生活

2/28のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日は様々な用事で自転車で駆け回ることが多い1日でしたが、風が強く、花粉がダイレクトに目ん玉に飛び込んで来て、それはそれは辛い1日でした。


花粉症じゃなくても目がゴロゴロするでしょ、と思うくらいの異物感でしたが、3度目の外出時には伊達メガネによって何とか乗り越えることが出来ました。


あぁ、早く終わってほしい花粉シーズン、でございます。


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ハリのある書道生活

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そんな今日の所要の1つに、書道教室がありました。最近ブログがやたらと書道づいてるなぁと自分でも思いますが、同人展が控えながらも通常の授業もある、ということで割合が増えております。ご容赦下さい。


そんな今日は通常の授業でした。前半に法帖(古典のお勉強)、後半に濫觴(毎月の課題制作)という流れですので、まずは法帖に取り組みました。鄧石如の隷書、2回目でございます。


前回は肩慣らしでしたが、今回から提出に向けての書き込みになります。崔子玉の座右銘という言葉を鄧石如が書いたのが今回のお手本になるわけですが(少しややこしい建付け)、半切に全臨していきます。


うっすらと枠が見えると思いますが、それも含めての作品みたいです。枠は淡墨で、機械的に均等になることなく、ランダムに良い感じに書くのが良いみたいです。


そして肝心の字ですが、思ったより上手く書けたな、というのが本音です。枠のおかげかもしれませんが、大きさが大きくバラけることもなく、まとめられた気がします。


ただ、隷書の特徴でもありますが、お手本を見ると、もっとスペースが潰れているところがあります。例えば『勿』などは、線と線の間が空きすぎていたりします。


こういった空間の取り方は、日頃字を書いていて、『まぁ大体これくらいだよね』と自分の中に刷り込まれているものです。


ましてや鉛筆やボールペンで、線自体の太さよりも線と線の間のほうが細い、なんてことはほとんど無いわけです。頭の中に刷り込まれた形を壊していくのは、容易なことではありません。


ただ、こういった規定概念のぶち壊しが、字形に幅を生み、創作にも生きてきます。黒をもって白を置く、とはよく言われますが、黒いところを如何に黒くするか、というところで、これらの隷書での鍛錬が発揮されるはずです。


そして後半の濫觴ですが、同人展がありますので正直あまり時間はかけたくないところです。家に持ち帰って作り込む、というのを避けたかったので、楷書・臨書・かな交じりの3点を1枚ずつババっと書き上げてしまいました。


一点で行くぞ、と決めると良い緊張感が出てきまして、割と良い作品が作れた気がします。振り返ると気になるところが出てくるはずなので、見て見ぬふりをしているだけなのかもしれませんが。


最近は、また書道を楽しめている自分がいます。下手なことに漸く慣れてきたのかもしれませんが、それでも表現できる楽しさみたいなのが分かってきた気がします。明らかに同人展が良い影響になっています。


目標を持つということは良いことです。そんな当たり前のことに気が付けた、今日の書道でございました。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。鼻と喉と目がやられてる。



南無阿弥陀仏

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