丁寧に生活する
7/21のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
バスケのアメリカ代表や日本代表の練習試合を見ながら、密かにオリンピックへの気運高まりつつある今日この頃です。テレビをまともに見てないので知りませんでしたが、オリンピックの開幕がいつか調べてみると7月26日とのこと。もう目の前です。
開催地がパリなので、ちゃんと見ようとすると生活リズムがぐちゃぐちゃになりかねません。あまり熱心には追いかけず、興味あるのだけ程よく見ていこうかなと思っています。なんにせよ、出場する選手全員がベストを尽くせますように。
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丁寧に生活する
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ここ最近、夜にストレッチとかをしながら東出昌大さんのYouTubeを見るのが日課になっています。数年前から山暮らしをしているとのことで、その生活に密着した形の動画となっています。
数年前にスキャンダルがあったので、未だにあーだこーだ言う人もいるのかもしれませんが、動画のコメントは概ね肯定的です。動画自体も、着飾っていない感じがして、とても面白いです。
そんな動画の中で、東出さんが『丁寧に生活する』という言葉を使っていました。『丁寧』も『生活する』もよく使うフレーズではありますが、この2つが組み合わさることは個人的に新鮮です。
仕事はもちろんなんでしょうが、家事についても丁寧に手をかけてやる、という意味だったと思います。仕事だけで生きているわけではなく、ご飯を食べたりすることも生きることの一つ、そこに至る道程にもきちんと向き合うことが、丁寧に生活する、ということなんじゃないかと勝手に推察しています。
私の日々の生活パターンとしては、子どもたちが寝静まったあとに洗濯機を回しています。余っていたら、食器を洗ったりもしていますが、そのどれについても『生産性がないなぁ』と思いながら取り組んでいました。
洗濯機は毎日回しますし、食器洗いなんて1日2回くらい発生します。それを毎日毎日繰り返していますので、『終わりがねえなぁ』と思うわけです。ただ、『丁寧に生活する』という言葉に出会ってからは、洗濯機を回すことにも、食器を洗うことにも意義を見いだせている気がします。
仕事をすることも、子どもと向き合うことも、どちらも生活だけれども、洗濯だって食器洗いだって立派な生活の一部です。その一つ一つを丁寧にやってやる、そうするとどれもが無くてはならない存在であることに気が付けました。
人生を俯瞰して捉えると長旅に見えるかもしれませんが、それだって一日一日の生活の積み重ねでしかありません。一日一日を丁寧に生活してやれば、人生自体を丁寧に過ごすことができるじゃないかなぁと思ったりしている、ここ最近でございました。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。生活しているのは自分自身です。
南無阿弥陀仏
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