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三毒にまみれた心

6/26のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


ここ数日は夜に予定が入っていたりなんだりで、今日は久々に子供達の寝かしつけを担当しました。案の定一緒に寝てしまい、気付けば11時過ぎ。割と気持ちよく寝られるので睡眠時間的にはプラスですが、夜の時間をゆっくり過ごすという意味ではマイナスで、完全なるトレードオフの関係が成立しています。どちらも捨て難いので悩ましいところですが、最近は睡眠不足気味でしたので良かったです。


それにしても、妻が子供たちを見てくれているから、私が出かけたりできるわけで、本当に感謝です。もちろんこちらがやる時もあるのですが、割合で言えば向こうのほうが全然多いので、有難い限りです。そしてこれからもよろしくお願いします。


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三毒にまみれた心

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これだけ暑い日が続くと、梅雨が恋しくなってしまうのは私だけではないはずです。梅雨の時は晴天の日が待ち遠しかったですが、いざ晴天続きになると、雨でも降って地面を冷やしてくれないものかね、となってしまう。いやはや人間というのは我儘な生き物です。


こういう愚かさを、仏教の言葉では煩悩、もっと詳しく言えば『愚痴(ぐち)』と呼ぶのでしょうか。人間の根本的な三つの悪徳のことを指す三毒の一つですが、愚かであることを指します。


他の2つは『貪欲(とんよく)』と『瞋恚(しんに)』です。貪欲は貪(むさぼ)る気持ち、瞋恚は憎しみ嫌う気持ちのことです。どれもしっかりと自分には備わっているので、仏教は真理を捉えているなーと感心してしまいます。


仏教ではこの煩悩を断じて、悟りを開くことを最終目標としていますが、この身今生において、その境地に達することは何とも難しいなとも思います。悟りを開くと仏様になるわけですが、やっぱりこの肉体がある限りは、自分はどこまで行って心のどこかでは三毒が残っているでしょうか。そんな確信があります。


ただ、仏様にはなれなくても、仏様のような人にはなれるかもしれないし、周りから見たらそう思われるようなお坊さんになりたいものだなとも思います。何かに触れ感情の起伏は起こってしまうものですし、そこで三毒を味わうことはありますが、それを表に出すか出さないかは別問題です。仏のような人ならそこで感情を表に出さずにいられるはずで、その境地もかなり厳しそうですが、悟りを開くのに比べると、まだなんとかたどり着けそうです。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。とか言いながら、子供の言動に怒り心頭の毎日です。まだまだ旅路は長く険しそうです。



南無阿弥陀仏

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