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京都の報恩講結願日中法要を見学

11/28のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


上二人の子どもたちの寝かしつけをしていると、子どもたちの寝ていく姿を見ることができます。私の方が先に寝落ちすることも多いのですが、ここ2日くらいはちゃんと見届けられていて、それが何とも幸せです。


子どもたちの寝顔ってのは、何であんなに可愛いんでしょうか。幸せを感じるとともに、この子達のためにも頑張らなきゃなという気持ちになります。明日も頑張ろう。


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京都の報恩講結願日中法要を見学

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さて、今日は宗祖親鸞聖人の御命日ということで、報恩講の結願でございました。本来ならば浅草の本山に出仕するところでしたが、足の不調で断念。その代わりと言ってはなんですが、弾丸で京都の真宗大谷派の報恩講結願日中法要を見学してきました。


一応前提条件として、法善寺は浄土真宗東本願寺派(本山浅草)に属していますので、真宗大谷派(本山京都)ではありません。ただ、この浄土真宗東本願寺派というのは、もともと真宗大谷派に属していた寺院でほぼ構成されています。約40年前に色々あって、いくつかの寺院が真宗大谷派を抜けて独立し、浄土真宗東本願寺派が立ち上げられ、そこに合流した、みたいな流れです。詳しくは、まぁ、ネットとかで調べてみてください。


前から、いつか京都の結願日中法要を見に行きたいなぁと思いつつも、自坊での予定が入っていたり、入っていなければ浅草の本山に出仕していたりで伺うことが出来ていませんでした。ただ今年は、理由があって浅草には出仕できず、そして自坊での予定もないという条件が揃っていましたので、漸く京都の結願を見に行くことが出来ました。


ちなみに足の方は、畳の上に2時間半だったのでそれなりに辛かったですが、座椅子を使ったり、足を組み替えたり出来たので、何とか乗り越えられました。これなら、寝る前にストレッチすれば、明日に影響が残ることもなさそうです。


さて、本題の結願日中法要ですが、まずは参詣の人数の多さに驚きました。恐らく500人くらいはいたと思いますし、入れ代わり立ち代わりしながら、外には立ち見の方もいらっしゃいました。私は一人で身軽ということもあり、少しばかり空いているスペースを発見しまして、参詣エリアのほぼ中央に座することが出来ました。


京都の結願の外陣は、准堂衆もしくは堂衆という認められた方々のみが出仕できるみたいです。私の祖父は関東で初めて准堂衆になった人みたいで、50年くらい前にもしかしたらここに出仕していたのかなぁなんて想像を膨らませていました。


浅草の本山が五昼夜であるのに対し、京都の場合は七昼夜で報恩講が執り行われています。また、細かい話になりますが、今日の結願の伽陀は浅草は五章に対し京都は七章、坂東曲の和讃は浅草は三首に対して京都は六首です。これは、浅草の本山が元々京都の東京別院だったのが由来で、今もそのまま京都の方が重いお勤めになってきます。


別に京都の真宗大谷派を持ち上げたいわけではないのですが、浅草では使わない伽陀があったり、使わない坂東曲の念仏があったりすることにはやっぱり違和感があるなぁと思ってしまいました。京都から独立して浅草が本山となったからには、本山としての報恩講に切り替えればいいのにと思ったりしますが、まぁ私の考えの及ばない何か事情があるのでしょう。


さて、報恩講が終わったあとには、すぐ目の前の法衣店にお邪魔してご挨拶をさせていただきました。頼んでいた衣があったのでその進捗確認と、それ以外にもお願いしたいことがあったので、そのお話を少しさせていただきました。


それが終わってラーメンをかっ込み、新幹線に乗って帰ってきました。滞在時間5時間弱の弾丸京都ツアーでしたが、とても良い経験をさせていただきました。色々考えさせられました。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。家族へのお土産は、定番の聖護院八ツ橋。



南無阿弥陀仏

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