人の死は『点』での出来事じゃない
11/11のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
コロナワクチン(4回目)から4日、インフルエンザワクチンから1日経ちましたが、おかげさまで元気に過ごしております。コロナワクチンの副反応は昨日の時点でほとんどなく、インフルエンザワクチンの副反応は、打った直後の痛みはコロナの時よりも強く感じましたが、1日経ったら何も無くなっていました。幸い、痒みとかもなく、絶好調であります。
サプリのおかげか風邪も引いていませんし、ワクチンのおかげで少し安心した気持ちで冬に突入していけます。あとは痩せるだけですので、適度な運動と適量の食事を心がけて頑張っていきます。忘年会シーズンが間も無くやってきますので、そこまでに結果を出します。
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人の死は『点』の出来事じゃない
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今朝未明に、村田兆治さんが火事で亡くなったというニュースが入ってきました。ご本人が現役に頃を存じ上げませんが、名球会かなんかの試合で50歳を過ぎているのに140キロ越えのストレートを投げておられて、とても驚いた記憶があります。なぜか父が『抑えだけなら、今でもプロで通用するらしいな』と、ドヤ顔を決め込んでいたのを思い出しました。
事故や事件で誰かが亡くなるのは、ご本人にとってはもちろんですが、周りの人にとっても大変辛いことです。ご病気の場合は、少しずつ何とか受け入れようとするものですが、事故や事件ですと、あまりにも急すぎて受け入れることが難しく、突然悲しみのどん底に突き落とされたような気持ちになってしまいます。
父は亡くなる4ヶ月前に入院をしました。治すために入院をしたので、本人も我々も、あまり死というのを意識していなかったかもしれません。病院の先生から生存確率みたいなのを聞いても、どこか現実味がない感じがしていました。
ただそこから約2ヶ月が経ち、だんだんと雲行きが怪しくなってきました。それと同時に『もしかして、親父死ぬのか?』という思いが脳裏をよぎりました。そこから更に1ヶ月が経ち、危篤状態になった時には、父の死が現実として突きつけられた感覚がありました。その1ヶ月後に亡くなりましたが、その時は『いよいよ来てしまったのか』という思いでした。
幸いなのかはわかりませんが、私はこうやって段階的に死を受け入れてきたんだと思います。さらにその後の、通夜葬儀、火葬、49日、一周忌、そして先月の三回忌という法事を乗り越えることで、父の死というものにゆっくりと向き合って受け入れられている感覚があります。
最近では、葬儀を簡易に済ませたり、その後の法事もほとんどやらない、という方が増えているように見受けられます。ただ、そうすることによって、結果的には自分自身が苦しんでしまう気がして仕方ありません。
人の死というのは決して『点』で起きる出来事ではなく、長い『線』にして受け入れていくものです。故人のためだけではなく、残された自分のためにも、葬儀や法事はきちんとお勤めされた方が良いはずです。人と人との繋がりがどんどんと希薄になっていってしまう現代ですが、より良い社会を作っていくことを担っているとされている僧侶として、そんなことを思った今日この頃でございました。
今日もブログをお読みいただきありがとうございます。村田兆治さんのご親族、ご友人の方々に、深くお悔やみ申し上げます。
南無阿弥陀仏
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