今ある生に感謝する
5/26のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
息子の不機嫌に切れた昨日から一転、寝て起きたら息子も私の精神も少し落ち着きました。ところが一難去ってまた一難、保育園での行き道で息子が転んでしまい、手のひらに擦り傷が出来てしまいました。転ぶことは日常茶飯事ですが手のひらに傷が出来るのはおそらく初めての経験で、右手を使うことを拒否していました。
念のため病院に連れていきましたが(病院は嫌いなので騙しながら)、不幸中の幸いで骨折までは至っておらず。傷口を消毒してもらって、軟膏を塗ってもらって、包帯でぐるぐる巻きにしてもらって、帰宅となりました。子供の回復力は半端ないので、週末には完治しているんじゃないかと願っています。
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今ある生に感謝する
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当たり前ですが、子供ができてから生活は激変しました。子育てに関しては妻が誰よりも頑張ってくれているので私が偉そうなことは言えませんが、子供優先で予定を組まなければいけませんし、出歩ける時間も限られますし、経済的にも出費がかさみます。
独身の頃や、結婚しても子供がいない時の方が、時間的にも経済的にも遥かに自由だったのは間違いありませんが、それでも子供がいることで幸せを感じられます。とは言っても、こうも子育て世代に優しくない日本には正直憤りを感じていますが。
大人だけでは起きようもないトラブルが、子供がいることで家には舞い込んできます。おしっこで床が濡れるのなんか日常茶飯事で、う〇ちでふとんが汚れたりすることだって珍しくありません。また、免疫力が大人よりも弱いため風邪をひきやすく、結局家庭内で蔓延することだってしょっちゅうです。
でもそれもこれもがあるおかげで、家には活気があります。どよーんとしている時間も余裕もなく、前に進んでいくしかありません。絶望していたって、誰かが床に落ちたおしっこを拭いてくれるわけではありませんし、布団についたう〇ちを洗ってくれるわけでもありません。もちろん最初は愕然としていましたが、もう慣れました。
そういう経験をしたからか、子供を亡くした事件や事故のニュースを目にすると、以前よりもやるせない気持ちが強くなっています。山梨県道志村の件や、知床沖での件には心を痛めますし、ネットニュースで流れてくるお子さんをガンで亡くした方の記事は、最後まで読み切ることが出来ませんでした。自分ごとだと捉えてしまうと、辛くて辛くてやり切れません。
ただ、そういった出来事は因果応報ではなく、誰にでも急に訪れる可能性があることです。明日生きている保証なんてない世界で私たちは生きているわけで、辛いニュースを見るたびに、今ある命や環境が当たり前じゃないということを認識しないといけないなと思います。朝起きた時に、『今日も生きていられてます、ありがとうございます』と思える心持ちでいたいものです。
今日もブログをお読みいただきありがとうございます。特にこれ以上言うことはありません。
南無阿弥陀仏
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