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仏教の説く真理

こんばんは、

法善寺住職の中山龍之介です。


今日は日中、春の嵐が来たみたいです。言葉通り、とてつもない強さの大雨で、それを見ながら『翼の折れたエンジェル』を思い出しました。


ということで今日もランニングはお預けです。すっかり走らない習慣になってしまったのがまずいところですが、明日は絶対に走ります。もう一回、ランニングする習慣を取り戻していこうと思います。


ちなみに現時点で今月は37km、明日10km走れたとして47kmです。月の半分が終わったのにまだ半分の50kmに到達していないことになりますので、後半戦巻き返して100km目指します。100kmを超えた後、出来れば2月と同じようにダッシュ回も設けたいと思っています。頑張ります。



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仏教の説く真理

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ニュースを見て知りましたが、今日からJRでの終電の時間が繰り上がったそうです。あまり電車に乗らない生活の上、終電に飛び乗るということをここ数年していないため知りませんでしたが、そうなったみたいです。コロナ対策もあるのでしょうか。


こういうことになると、どうしたって賛否の意見が出て来ます。ただ何を言っても覆らないものは覆りませんので、この変化にどう対応していくか、自分自身をどう変化していくかが大切になってきます。史実を見る限り、生き残るのは強いものではなく、変化に対応したものみたいです。


仏教によると、この娑婆世界では『絶対的な善』は存在しません。例えば先日発表された、日米豪印4か国が新型コロナウイルスワクチンを途上国に支援するという話だって、一見すれば素晴らしくて誰にとっても善のように見えますが、『それより自国を優先しないと』とか『そんな施しは受けたくない』とか反対意見だって出て来ます。


もちろん各国のリーダーもそんなことは分かっているはずで、『それでも今回はこうさせてもらいます』という決定がなされた、という事です。全員が喜ばすことは出来ませんので、多くの人を喜ばす道を選んだ、ということでしょうか。つまり『絶対的な善』ではなく『相対的な善』ということになります。


ただ一方、仏教の教えの中には絶対的な真理が存在します。その中でも有名なのが『三法印』というもので、『諸行無常』『諸法無我』『涅槃寂静』の3つです。とてつもなくざっくり説明すると、下記のとおりです。


諸行無常とは、この世の何事も常ならない、全ての物事は変化し続けている、という意味です。例えば自然界に存在する石は長い時間をかけてあの形になっています。この先100年、200年と経てば更に形を変えていくはずです。人間なんて毎年更けていきます。(ホントざっくりとした説明ですみません)


諸法無我とは、絶対的な自我は存在しない、という意味です。これは、物事は縁起(外からの影響・捉え方)によって存在しているという仏教の根幹となる考え方に依るものです。例えば私の家にあるソファだって、息子にとってはちょっとした山ですし、眠い時に横たわればベッドになります。ソファをソファたらしめているのは使い手によるもの、つまりは縁起によるということです。(ホントざっくりとした説明ですみません)


涅槃寂静とは、悟りを開いた世界こそが静かなる平和な世界である、という意味です。悟りを開かなければ、つまりは煩悩を断じないと、本当の安楽世界は訪れないという事です。浄土真宗では、この体がある限り煩悩を断じることは出来ないと考えられていますので、本当の安楽世界とは亡くなった後に往生する西方極楽浄土になるわけです。(ホントざっくりとした説明ですみません)


ちなみに、これに『一切皆苦(この世の全ては苦である)』を加えて『四法印』という括りになることもあります。仏教の基礎的な部分ですが、めちゃくちゃ大事ですし、これを知っているだけで物事の捉え方が変わるような考え方です。これを読まれた方に、私の拙い文章の10%でも伝われば幸いです。


話は一気に変わりますが、そういえば明日はホワイトデーです。結婚して5年も経ちますし、コロナでまんねりしてくる感じもありますが、少しでもお返しが出来るようにちょっと頑張ります。世のパートナーがいる男性、がんばりましょう。



南無阿弥陀仏

 

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