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仏法を紡ぐ役割

5/21のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日はお寺では法事がびっしり入っておりましたが、妻は子供たちを連れて三社祭の山車に行ってきてくれました。きっかけはママ友からのお誘いみたいですが、地元の行事に参加できたのは良いことだなぁと思います。有難い限りです。


手前味噌になりますが、上野や浅草を擁する台東区は、23区の中でもかなり異彩を放っている区だと思っています。いわゆる『東京』からイメージされるようなスマートさは全然ありませんが、程よく都会で、程よく地元感があります。個人的には、台東区のブランド力をもっと上げてほしいと思っていますが、これくらいのブランド力だから親しまれているのかもしれません。何事も、無いものねだりですね。


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仏法を紡ぐ役割 ============


今日は声明の会がありました。毎月第3日曜日の午後3時から開催しておりまして、お経を読んだり、正信偈の解説をしたり、仏事に関する悩み事を持ち寄って話し合ったりする会です。


正信偈の解説は、とある本に沿って前から順番通りに行なっているのですが、今月は善導大師が登場する箇所が当たりました。善導大師は中国のお坊さんなんですが、観無量寿経(通称:観経)というお経を自身で注釈した『観経四帖疏』という書物が有名です。


ところが、声明の会で使っているとある本曰く、善導大師は最初に観経をお読みになった時にはピンと来ていなかったそうです。どういう感想を抱いたかまでは分かりかねますが、その時点では自分で注釈書を書こうとまでは思っていなかったみたいです。


ところが、師匠である道綽禅師から無量寿経(通称:大経)を授けられそれを読んだ時に、観経の本意に気付かれたそうです。ざっくり言うと、大経には阿弥陀仏の本願が描かれており、観経には極楽浄土への往生の仕方が描かれているのですが、『こういった本願を建てられた阿弥陀仏なら、観経のこの部分はきっとこういう意味で仰られたんだな』となった訳ですね。


書いてある文字面ではなく、その裏に隠された本意を理解されたことで、観経の注釈書を書くまでに傾倒していった、ということでしょうか。私レベルでも、子供の時に読んだ漫画を改めて読み返すと全然違う部分に感銘を受けたりしますが、きっとそれのめちゃくちゃ高度バージョンなんだと思います。


今回の善導大師もそうですが、お釈迦様が仏教を説かれてから今日までの約2500年、こういった立派なお坊さんが連綿と教えを受け継がれてきました。先日の親鸞展でも感じましたが、間違いなくとんでもない熱量によって教えは紡がれてきました。


恐れ多くも、私もその教えを紡ぐ役割があるはずです。ごくごく微力であることは間違いありませんが、仏法を説く場面はやっぱり大事にしていきたいな、と改めて思った本日の声明の会でございました。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。次回は6月18日です。是非。



南無阿弥陀仏

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