会える時に会うべき
12/20のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
12月も下旬に入ろうかと言う時期ですが、なかなか寒くなりきらない日が続いています。昨日だったが、とても寒かったですが今日はそうでもなく。1月が1年でいちばん寒い月なので、冬本番はまだ少し先ということでしょうか。
忘年会も一段落したことで、体調も戻って順調に過ごせています。忘年会自体は楽しいので飲みに行くことに後悔はないのですが、続いてしまうとやっぱりキツイですね。新年会はそうならないよう、調整していこうと思います。
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会える時に会うべき
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ドラマを見たり、映画を見たり、小説を読んだりすると、さも人の人生というのは何かしらの役割が必ずあるように錯覚してしまいます。その役割は天命とでも言うべきもので、果たさぬ限り死ぬことはない、みたいな感覚に陥ります。
ただ現実世界は残念ながらそんなに美しく出来ておらず、時にとても残酷な一面を見せてきます。若く、まだまだやるべきことがあったのに、という方が亡くなることも、残念ながら少なくはありません。
樹木希林さんの言葉で『生きるも日常、死ぬも日常』というものがありましたが、正に我々はそんな危うい世界を、毎日何とか生き延びています。そしてそんな毎日が続くことで、いつの間にか生きるのが当然だという錯覚に陥ってしまいます。
私ももう36歳になりました。まだ一般的には若い年齢かもしれませんが、周りの話を聞いていると、人間ドックの結果で何かしら引っ掛かっている人もチラホラ出てきました。今すぐどうのこうの、という類いではないのかもしれませんが、それでもいつどうなるかは誰にもわかりません。
錣山親方(元寺尾関)が亡くなったことを受け、古い友人だったという高田延彦さんがインタビューに応えられていました。お互い現役の時に親交を深め、旅行に行くほどの仲だったそうですが、ここ10年くらいはお会いしていなかったそうです。
そのインタビューの中で高田さんは、『妻と、寺尾さんに会いたいね、という話をつい最近していた。訃報を聞いて驚いた。会える時に会うべきだった』という旨をお話しされておりましたが、これには共感しかありません。
私の年齢ですと、大学卒業以来会ってない友達というだけでも15年くらい経っていることになります。また、親しいと思っている友人でも、家族の都合だ何だと2-3年くらい会わないことだってザラにあります。
いつか良い機会があれば、と先延ばしにすることなく、会える運命なら会えるっしょ、と変な錯覚に入り込むことなく、会いたいならちゃんと自分から行動して会わないといけないな、と強く思いました。
ということで、2024年の抱負は『友達に会う』です。その足がかりは新年会になるでしょうか。スタートダッシュをバシッと決めて、1年かけて色んな人に会えればいいなと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。早速今日、中学の部活のメンツに声掛けました。みんな気分屋だから、集まれるかしら。
南無阿弥陀仏
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