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何となく、を大切に

9/22のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


早速ですが、昨日のブログで触れた『とある大きなお話』ですが、来年に持ち越しとなりました。理由はここでは割愛いたしますが、気持ち的には不安ながらも前向きになっていたので、ホッとしたような、肩透かしを食らったような、、、


でもまぁ無くなった話ではなさそうですので、この執行猶予期間を大切に使えればと思います。精神的にも肉体的にも技術的にも、1年で万全の状態を期せるように精進してまいります。


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何となく、を大切に

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さて、今日はお彼岸のお中日でした。同時に三連休の中日であり、気温も漸く落ち着いてきたということで、多くの方々がお墓参りにいらしていました。良い意味で、バタバタと一日を過ごさせていただきました。


法善寺では、お彼岸の初日・お中日・結の3日間は、11時より本堂でお経をお上げしています。その後には法話もさせていただくのですが、今回は『お墓参りやお念仏は、何となくするものなんですよ』といったお話をさせていただいております。


この『何となく』という表現が少しマイナスな印象を与えてしまうかもしれませんが、決してそんなことはないとお伝えしております。というのも、そこには明確には言語化できない理由や気持ちが存在しているからです。お墓参りをしてなんとなく落ち着いていく気持ちを、言葉にするのは難しいものです。


例えばテレビを見ていて、グルメレポーターが様々な表現で味を伝えたとしても、その言葉を聞いただけではその料理を食べた気になれません。そしてその料理を食べられたとしても、それを正確に表現できる言葉はないはずです。


お念仏も同じで、なんとなくという心持ちが大切かと思います。南無阿弥陀仏のお念仏は、阿弥陀仏の不可称不可説不可思議のおはからいによって、我々に与えられた行です。そんなお念仏をお称えした時に得られる気持ちが、上手に的確に正確に言語化できるはずもありません。


現代において我々は、もしかしたら言葉を超えた世界や、目に映らない世界というのを見ようとしなくなったのかもしれません。スマホによって誰もがいつでも写真を撮り、それをSNSにアップしては全世界に広がっていきます。もう少し、何となく得られる気持ちを大切にしてもいいのかなぁと思ったり、云々。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。改めまして、能登大雨にて被害に遭われた方々に、お見舞い申し上げます。1日も早い復興が実現されますように。



南無阿弥陀仏

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