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何者かになろうとしている自分

  • 執筆者の写真: Nakayama Ryunosuke
    Nakayama Ryunosuke
  • 3月27日
  • 読了時間: 3分

3/21-27の週ブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


春のお彼岸が終わり、いよいよ年度末という空気感が流れてきました。その風には花粉と黄砂も乗っているみたいで、マスクと目薬に助けてもらいながら日々を過ごしています。


この時期になると、境内の小米桜と木蓮がキレイに咲いてくれます。たまたま前を通りかかった人が花に目を奪われて、境内に入り写真を撮っていかれることも珍しくありません。


それぞれ満開時期は過ぎてしまったかもしれませんが、もし法善寺の近くにお立ち寄りの際には是非ご覧ください。


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何者かになろうとしている自分

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三十代も後半に差し掛かり、もしかしたら人生もう折り返してるんじゃないかと思うようになりました。そもそも平均寿命まで生きられる保証などどこにも無いのに、なんかそこまでは生きられると思ってしまうから、人間(私だけかもしれませんが)は不思議なものです。


お寺に入ってもうすぐ七年が経とうとしていますが、まだ『何者かになろう』ともがいている自分がいます。落ち着こうとする自分のお尻をたたき、『もうちょっと、もうちょっと』と言っているもう一人の自分がいる気がします。


何者かになれるなんて、全く保証がありません。坊さんをやりながら、書道をしたり、写真を撮ったり、父親したり。このままいって何者かになれるかは分かりませんが、まずは目の前の日々を歩んでいくしかありません。


こんなことを考えていることに、少し若さを感じたりします。諦めきれていないというか何というか、自分の背丈を把握できていないんでしょう。


とは言え、失いたくない気持ちでもあります。浄土真宗でも、自力で悟りを開けないからといって何をしても良いとは説いていません。自力で仏にはなれなくても、仏のような人間にはなろうとしなければいけません。


そんなこんなで足掻いているわけですが、40歳という年齢も目の前まで来ています。まだまだ若いと言っていただけることもありますが、石原裕次郎の40歳のころを見ると完成形って感じがして(比較対象が間違ってるかもしれませんが)、私なんかはまだまだそこまで至っていません。


いつか頑張ろう、と思う時期は既に過ぎているはずで、そんなことを思っている間にどんどんと歳をとってしまいます。自分自身に諦めきれていないなら、もう少し頑張らねば、と思う今日この頃でございます。


無理のない範囲で無理しながら、一歩一歩前進あるのみです。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。まずは今年度を無事に締めたい。



南無阿弥陀仏

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