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僧侶の役割、葬儀社の役割

4/15のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


早いもので、4月も前半戦が終わります。怒涛の3月を受けての今月でしたので少しゆっくりな感じはしますが、その分子どもたちの新学期によるあれこれで時間が過ぎていっている感じがします。


とはいえ、4月末からは親戚のお寺での永代経法要が入っています。法話の準備も進めつつ、精進してまいります。


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僧侶の役割、葬儀社の役割==============================


さて、葬送業界を大きく『エンディング産業』とか呼んだりしますが、その手の展示会が東京ビッグサイトやパシフィコ横浜で開催されたりしています。


過去に何度か伺ったことがあるので、会期が迫ると招待状が送られたりしてきます。当日行けるかは分かりませんが、開催されているセミナー欄には確実に目を通すようにしています。大抵は、『AIを使った〇〇戦略』とか『顧客のニーズに応える〇〇』とか、そんなテーマのセミナーが並んでいます。


セミナーに行かなくても、テーマを見ていれば何となくの時流が分かったりするものですが、それらを見ていると『あぁ、我々僧侶側がきちんとしないとな』という気持ちが湧いてきます。


それらのセミナーやエンディング産業自体を否定するつもりはないのですが、どんどん『ビジネス』になってきてしまっていて、『宗教』からは離れていっている感覚があります。心に寄り添うことはとても大事ですが、やはり教えは教えとして説いていかなければいけないところもあります。


そんなこと言いながら、数年前の私だったらほぼ何もかも言われたとおりに対応していた気がします。浄土真宗だったら用いない御位牌、陰膳、献杯、清めの塩、合わせ箸等々においても、黙認していました。『お気持ちなので、、、』と自分に言い聞かして、良かれと思っている節さえありました。


ただ最近は、『浄土真宗の本義としては、、、』と前置きした上で、一応言うようにはしています。陰膳とかが事前に準備されていたら、それを下げるようにまでは言いませんが、本来の形を伝えることだけはしようと思っています。


法話においてもそうですが、我々僧侶側がそこをサボってしまったら誰も伝える人がいなくなってしまいます。葬儀社さんはそこには気が付きませんし、そもそも様々な宗教・宗派を扱う業者にそこまで求めるのは酷過ぎます。


お檀家さんに寄り添うことはもちろん大切ですが、僧侶としての役割も見失ってしまってはいけません。時には言いづらいこともあったりしますが、そこは言い方一つで乗り越えられたりもするものです。もちろんこちらからの話を一辺倒にするのはダメなので、バランスが大切なわけですが。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。時流に流されすぎないようにしないと。



南無阿弥陀仏

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