出来る限り頑張ろう
8/21のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
ついに、お寺の前の小学校に植えられていた木が抜根されていきました。根が張り過ぎて地面が凸凹してきたというのが要因みたいですが、見慣れた景色が一変しそうです。
ちなみに、小学校沿いの道で、見た目やテイストが合わされていますが、ただの公道です。抜根した跡が補修されれば歩きやすくなると思いますので、車道ではなくそちらを利用してもらえると嬉しいです。たまに車道を歩いてる危ない人がいるので。
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出来る限り頑張ろう
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さて、昨日に8月の課題提出を終えた書道ですが、次は東京書作展が控えています。年間でいくつも書作展あるので全てに出品しているわけではないのですが、ここ最近は少し続いている印象です。
当然その分忙しくなってしまうのですが、腕前を上げるために手を上げているわけで、なあなあのまま出品しては意味がありません。出来る限りの時間と労力を割いて、仕上げていきたいところです。
ということで早速の今日ですが、まずは紙を買い込みました。もう書き込みを進められている方がほとんどなので出遅れた感は否めませんが、『出来る限り』の事をするまでです。
題材として選んだのは、歎異抄の第二章です。『地獄は一定すみかぞかし』なんていう副題が付けられたりする章ですが、この中から下記の部分をピックアップして書き記していくつもりです。
念仏は、まことに浄土に生まるるたねにてやはんべるらん、また地獄に堕つる業にてやはんべるらん、総じてもって存知せざるなり。
たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候。
そのゆえは、自余の行を励みて仏になるべかりける身が、念仏を申して地獄にも堕ちて候わばこそ、「すかされたてまつりて」という後悔も候わめ。
いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
可能な限り原文をもとにして書くつもりなので、『候』が『さふらふ』に、『生まるる』が『むまる〃』になったりします。また、漢字の字形も書道的に慣用なものを使いたいので、『仏』は『佛』に、『総』は『總』になったりします。
ちなみに今日も一枚書いてみました。全体の出来としてはボロボロだったのですが(字の大きさを掴みきれておらず、全文収まりきらず)、途中の『念佛』は気に入ったので写真を撮ってみました。
墨の潤渇があり、線の太細があり、空間の開閉があり、呼吸も感じられる気がします。こんな雰囲気の組み合わせがいくつも出来て、それが集まった作品になれば良いのですが、まだまだそこまで広げるのは難しそうです。
提出日は9/12です。日のない中ですが、『出来る限り』あがいてみようと思います。引き続きご注目ください。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。明日はもっと丁寧に書いてみよう。
南無阿弥陀仏
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