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前提を飛び越えるな

こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


お寺のネットがついに復活しました。妻が頑張ってあらゆるコールセンターに電話し続けた結果です。ありがとうございました。本人も嬉しそうで、それが何よりです。


ネットは復旧しましたが、なぜか私のパソコンからはお寺のみんなの共有フォルダに入ることが出来ないという、中途半端な状態です。このままだと困るので、これを機にお寺のデータをクラウドで保存する方法に替えていこうと思います。


それなら家でもお寺のデータにアクセスできますし、リモートワークも可能みたいです。もちろんお寺ですので、リモートワークをする気はありませんが、便利になることは大歓迎です。お寺のIT化推進していきます。


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前提は何なのか =============


クラウドやら5Gやら、便利なサービスがどんどん出てきています。最初は『クラウドって何?』とか思っていましたが、使えるようになればとても便利です。スマホで撮った写真なんかは、Google Photoを通じてすぐにクラウドにアップロードされ、ほぼ時差なくPCでもその写真が閲覧できます。


こういったサービスは、『インターネットにPCやらスマホやらが接続されている』ということが前提で成り立っています。15年前くらいだったら、この前提が成り立たない環境だった人も多いはずで、その時にはクラウドとかテレビ会議とかは主流にはなり得ないはずです。


ちなみに私が最初にノートパソコンを手に入れたのは中学1年だったと思いますが、その当時は電話回線でインターネットにつないだりしていました。今みたいに分かりやすく接続できるものでもなく、電話のケーブルを無理やりパソコンに接続した結果、小さい音で家族の電話している声がパソコンから流れてくるという現象が起きたのを覚えています。


電話回線だと全然上手くいかなかったので、当時最先端だった光ケーブルを台東ケーブルテレビに引いてもらい、何とかインターネットに繋げました。と言っても、ヤフーで将棋したりオセロしたりするくらいで、今から考えると何が楽しいのか分かりません。


今では安定的に高速でネットが繋がる時代で(ここ1週間くらい法善寺は時代から取り残されていましたが)、その環境の上に様々なサービスが成り立っているわけです。


ここから少し強引に仏教に話を持っていきます。


この『Aが前提にあるから、Bができる』というのはありふれていますが、当たり前すぎてAという前提を忘れてしまうことが多々あります。浄土真宗の教えで私がそれを感じるのが、『救われたいから、御念仏を称える』というものです。


この『救われたい』という前提を手に入れるには、少し仏教を知らないといけない気がします。


広く言って仏教は、輪廻転生から抜け出し、自分自身が仏になることを志す宗教です。(かなりざっくりですが)そのために、煩悩を捨て、悟りを開き、仏となるわけで、それを成し遂げるために様々な道筋が用意されています。ある人は苦行に挑み、ある人は座禅をし、そしてある人は御念仏を称えます。


お釈迦様と同じように、自分自身が修行を積み、悟りを開くというやり方もありますが、浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、ご自身も様々な苦行に挑戦しながらも、『自力で悟りを開くのは不可能』と思い、阿弥陀仏の他力に救いを求めました。親鸞聖人は、自力で悟りを開けなかった自分自身を『凡夫』と表現し、この『我々は凡夫である』という考え方が浄土真宗の一つの前提ともなっています。


自力で仏になれない、浅ましき凡夫である私達ですら救ってくださるのが阿弥陀仏という仏様ですから、その阿弥陀仏に帰依しますという意味で『南無阿弥陀仏』を称えます。ということで少し長くなりましたが、これが『救われたいから、御念仏を称える』の本当の意味です。


法話をする際に、こういった前提を飛び越えて話をしてしまい、『ちゃんと伝わらなかったかも』と思う時があります。また、『前に一回話したし』とか思って、前提を飛び越えることもありますが、やっぱり大切なことは何回も言うって大事です。このブログでも、『法善寺は門徒さんと地域の方々ためのお寺』と何回も書いていますが、それが功を奏して段々とこの考えは浸透してきた気がします。


今後は『それ知ってるわ』と突っ込まれるくらい、大事なことはしつこく告知していきますので、ご容赦くださいませ。

 

 

南無阿弥陀仏

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