創作が面白くなってきた今日この頃
12/8のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
先ほど、法善寺の会報誌『家庭通信』の入稿が無事に終わりました。何度も見返したので大丈夫だと思いますが、印刷し終わった後の修正はできませんので、入稿作業は何度やっても緊張します。
ということで一段落、と言いたいところですが、年明けの新年会のチラシも作りたいなと考えております。今までは文字のみのご案内でしたが、写真を載せたりした方が分かりやすいはずです。より多くの人に刺さるよう、ちょっと頑張ってみようかなと思います。
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創作が面白くなってきた今日この頃
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そんな今日ですが、午後には書道教室がありました。10月全然通えなかった分、11月は毎週通っていたのですが、振替え分が無くなったので今月からは元の月2回ペースに戻りました。ということで、2週間ぶりの書道教室でございました。
ブログにも書いたと思いますが、前回の時にはめちゃくちゃ褒められて最高でした。ただその分、今日は変なプレッシャーを(勝手に)感じていました。下手な作品を書いたら『あなた2週間さぼってたでしょ』とか言われちゃうんじゃないかとドキドキしていましたが、何とか何事もなく終えることが出来ました。
まず前半は、法帖の提出からでした。6回にわたる創作の科目も今日が最終回。前回の時に作った原稿をiPadで映しながら、それをもとに更なるブラッシュアップを臨んでいきます。作品の出来はホント一期一会なので書けば書くほど上手くいくものでもありませんが、何とか前回の作品は超えられたかな?というぐらいの作品は書けた気がします。
パッと見で、墨を入れたところ(潤)、墨が入ってないところ(渇)は表現できたかなと思います。線の質も、昔に比べれば良くなったし、バラエティに富むようになってきました。ただ改めてこうやって見ると、もっと細い、気の抜けた線があっても良いかなと思います。重ったるい線が多いので、息の抜けた線を書ければ、それによって濃い線が更に目立つ、という流れになるはずです。太い線を太く見せるには、近くに細い線を書くべし、ということです。
あとは、これは癖ですが、右上がりの字が多い印象です。右下がりが多いよりはマシなのかもしれませんが、作品の印象が一辺倒になってしまいます。線質もそうですが、字形だっていろんなものがあった方が作品に奥深さが生まれます。技術もそうですが、頭の中にある『この字はこの形』という固定概念を捨てないといけません。
そして授業の後半は、来週提出予定の濫觴(毎月の課題)の制作を進めました。今日は楷書とかな交じりの2つを取り組んだのですが、なかなか抜けきれない感じです。どっちも頑張りましたが、特に楷書はまたしても昇級チャンスなのでばっちりと仕上げたいところです。一応今日作品を取り置きましたが、来週の提出までもう少し粘ってみようと思います。
かな交じりは、別の生徒さんからご好意で面白い筆を貸していただき、書いてみました。多分兎のヒゲだったと思いますが、めちゃくちゃ細い筆でした。普段使っているものよりも、墨を全然含まず、そもそも毛量が少ないので筆が開かないから太い線が書けず、何がなんやら分からないままに書き終えてしまいました。
右がいつもの筆、左がお借りした筆です。あのような筆も使いこなせればカッコいいんだろうなと思いながら、まだまだ自分自身の技術を磨くことに専念します。弘法は筆を選びませんが、私は弘法じゃないのでまだ筆を選ばないと書けません。
それにしても、前回褒められたことが大きいですが、創作が楽しくなってきました。自分で考えて、ここはこんな流れを作ってみようとか、ここはスペース作ろうとか、そんなことを考えながら書くのが楽しいです。もちろん、考えてることをちゃんと表現できないことばかりですし、表現できたとてそもそも全然良くないこともしょっちゅうですが、そんな試行錯誤が楽しいんですね。
日本教育書道芸術院の研究科に来てから、およそ1年半が過ぎました。当時の作品を少し見返しましたが、はっきり言って見てられません。今よりももっと下手くそですが、それでも自分の字なので、見ていると影響されてしまいそうで怖いです。また1年半後には、今の私の作品を見てもそう思うのかもしれませんが、それこそが成長している証です。引き続き頑張って、日進月歩してまいります。
今日もブログをお読みいただきありがとうございます。腰痛と闘いながら、書道頑張ります。
南無阿弥陀仏
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