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危ない運転をされて思うこと

8/24のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


骨折していた肋骨ですが、3日ほど経って少しずつですが良くなっています。日常の動きには意外と影響がなかったりするのですが(子供も抱っこできます)、咳・くしゃみ・深呼吸なんかをするとひどく痛みます。また、鼻をかむために強く息を吐くのも痛むので、寝起きに鼻水が出やすい体質の私にとっては朝が一番嫌な時間です。


お医者さん曰く、痛みが引くまで1週間とのことでしたので、あと4日の我慢でしょうか。骨折はどこだって嫌なものですが、呼吸にいちいち絡んでくる肋骨はなんとも面倒くさい箇所です。皆様も不意の肘打ちにはお気をつけ下さい。


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危ない運転をされて思うこと

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首都高なんかを運転していると、たまにビックリするような運転をしている車に出くわします。これだけドラレコが普及された現代において、煽り運転やら何やらでネットに晒されてしまう危険があるのに、まるでそんなニュースを見たことがないかのような運転をしています。もしかしたら本当に見たことがないのかもしれませんし、見た上で『自分は大丈夫』と思っているのかもしれませんが、何にせよ恐ろしい運転です。


正直言うと、少し前までの自分なら、そういう運転をしてくる人に対して苛立ちを覚えていました。抜き去って顔を見てやろうとか、後ろから付いていってやろうとか、対抗策を考えたりしていました。ただ、今は『どうぞどうぞ、お先に行ってください』という気持ちになります。触らぬ神に祟りなし、と言いますが(神はそんな運転をしないと思いますが)、出来るだけ関わらないでおこう、ということです。


そういう考えになったきっかけは何かなと思うと、子供ができたことと父が亡くなったことじゃないでしょうか。もし仮にそういう人を追いかけて行って、ガッツリと煽られて、ニュースにも出てきたような事故に遭ってしまったら、と考えるととても恐ろしいです。


自分が亡くなるのももちろん嫌ですが、それによって家族は悲しむし生活が一変します。また、法善寺は今お坊さん一人体制ですので、門徒さんにも大変な迷惑がかかります。一人で生きているわけじゃない、という自覚が出てきたからこそ、そういう危ない運転には付き合わないでおこう、という気持ちになったわけです。


ただ、じゃあ危ない運転をしている人は一人で生きているのかと言うと、決してそうではないはずです。家族や友人や職場の方や、いろいろな人と関わりを持ちながら生きているはずですが、そういう運転をしてしまうわけです。そこの違いは何かと言ったら、偉そうに言えた身分じゃありませんが、やっぱり自覚かなと思います。仏教を勉強して縁起について学べば、もしかしたら見えてくる景色が変わってくるのかもしれません。


そういう意味では、私自身はお寺に入って5年目にしてようやく仏法が少しずつ体に染み渡ってきたのかもしれません。宗教を勉強することは、人生を豊かにする上でとても重要なことだと改めて気が付きました。


今日もブログをお読み頂きありがとうございました。もっと広められる様に頑張らないと。



南無阿弥陀仏

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