受け継いできたものを託せる幸せ
10/25のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
気がつけば、自坊での報恩講まで一週間ほどとなりました。昨日のブログで法話のブレストは一応しましたが、それ以外にも物理的な準備が様々あります。直前になって焦るパターンが毎回ですので、今回こそは事前に準備を進めていきたいところです。
ということで、11月3日は法善寺の報恩講があります。11時から法話、12時から勤行でございますので、是非ともお参りくださいませ。
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受け継いできたものをに託せる幸せ
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さて、実は昨日から北海道小樽に来ておりまして、とあるお寺の報恩講のお手伝いをしております。私の役目は助音(じょいん)ですので、外陣で声を出す役目です。精一杯を振り絞っているつもりです。
今回の報恩講は例年とは少し異なります。というのも、そこのお寺の住職が退任され、息子さんが新たな住職となる襲職法要を兼ねているからです。退任されるご住職には私もですが、特に父が大変お世話になっておりました。そのご縁で父が亡くなった今も私がお手伝いに伺わせていただいています。
結願日中という一番大きなお勤めは明日になりますが、それに先立って昨日から報恩講自体は始まっております。その一番、大きなお勤めに向けて様々なことを試しながら練習をしながら昨日今日と勤行を務めてまいりました。
その中で、新たに住職となられる現副住職が登高座をされることがありました。その横で現住職が見守り、一つ一つの所作を小声でアドバイスをされ、読み物があれば声に出しはしませんが一緒に読んでおられるシーンがありました。
そんなシーンを見ながら、私は父とこういったことができなかったなぁという想いと、自分の息子がいつか住職を継ぐ時に同じように見守っていたいなぁという想いに駆られました。実はかなり我慢してましたが、そのシーンを見ているだけでジーンと来るものがあり、涙が出そうになりました。
お寺は少し特殊な世界で、いまだに世襲制が色濃く残っています。古臭いと思われることもあるかもしれませんが、やっぱり自分の息子に自分の親から受け継いできたものを手渡すことができるというのは、とても素敵なことだと思います。私自身、そんな日が来ることを今からとても楽しみにしています。
ということで、明日がその結願日中法要です。声を飛ばす覚悟で全力で頑張らせていただきます。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。親が亡くなり、子供ができ、ここ5年くらいで自分自身の価値観が大きく変わったのを実感する日々です。
南無阿弥陀仏
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