報恩講の法話に向けて
10/24のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
昨日から開幕していたNBAですが、メンフィスグリズリーズに所属する河村勇輝選手のNBAデビューはお預けとなりました。日本人4人目の快挙が期待されましたが、ベンチ入りするも試合展開的に出番は無し。いたし方ありません。
ただまあベンチ入りはしておりますので、次戦以降に大きな期待がかかります。日本人4人目の退去も時間の問題かと思いますが、その時を楽しみにしながらまた見守っていこうと思います。
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報恩講の法話に向けて
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11月3日に報恩講がありますが、そこでの法話に向けてそろそろ準備をしなければいけないなと思い始めました。ちなみに、今回のテーマは『親鸞聖人が説かれた念仏の教え』としております。
今日はそんな法話に向けて、ブレインストーミングがてら、少しブログにまとめてみようかなと思います。
我々が今当たり前のように称えている『南無阿弥陀仏』というお念仏ですが、そこに至るまでどういった経緯があったのか、このお念仏にはどういった思いが込められているのか、その辺りを分かりやすく話しできればなと思っております。
このように口に出して称えるお念仏を、称名念仏という風に言います。数多ある仏教の行の中でも、とても簡単な行の一つです。これこそが、誰にでもできるからこそ最も勝れた行である、と説かれたのが親鸞聖人のお師匠さん、法然上人です。浄土宗の開祖である方ですね。
その法然上人のお念仏の教えをいただいたのが親鸞聖人ですが、最も大きな違いは他力にとことん寄ったというところではないでしょうか。ここで言う他力というのは阿弥陀仏のお力のことです。我々人間側の自力ではなく、阿弥陀様の他力ということです。
出来の悪い。我々のためにわざわざお念仏という優しい、そして最も優れた行をおすすめしてくださった阿弥陀様。その阿弥陀様をとことん信じるご信心をいただきながら唱える称名念仏こそが、我々が極楽浄土に行く唯一の因であると説かれました。
阿弥陀様は、誰でもいつでも救いたいと願われている仏様です。そんな仏様の懐に我々は入るように、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお念仏を称えているわけです。
南無阿弥陀仏と唱えることはもちろんとても簡単ですが、その上澄みだけではなく、背景、意味、想いその辺りを理解されるともっともっとありがたく、お念仏をいただけるのかなと思います。
より多くの方が、正しい仏縁に恵まれますように、お話をさせていただければと思います。法話ではもっともっと様々な話をさせていただきますが、一応なんとなくの方向性が見えた気がします。お付き合いいただきありがとうございました。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。法話は仏教をお伝えするとても大きなチャンスなので、絶対に頑張り切りたいです。
南無阿弥陀仏
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