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姉が飼っていた狆の納骨

5/25のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日は土日には珍しく、年回法要の予定が入っていなかったこともあり、息子の自転車を買いに行きました。自転車に乗れるようになってからしばらく経ちますが、今まで乗っていたのがストライダー(地面を蹴って進むタイプの二輪車)兼用みたいな自転車だったため、ちゃんとした自転車を買ってあげよう、という流れです。


今までのものよりホイールが大きくなるので最初は扱いづらそうにしていましたが、すぐに慣れて楽しそうに乗っていました。とは言え、まだまだ見ていて危なっかしいところもありますので、注視しつつ乗せていこうと思います。もちろんヘルメットありで。


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姉が飼っていた狆の納骨

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さて、そんな今日ですが、姉が飼っていた狆の納骨がありました。人様でも同じですが、亡くなってから49日がやってくるのはとても早く感じます。今日もそんな気持ちを抱えながら、お勤めをしました。


ただ、小さい子供が5人いる中でのお勤め、ましてやその子達からすれば導師が父親、もしくは叔父さんという関係性ですので、緊張感は全くありませんでした。最後の御文拝読の時も、御文箱の中にお菓子が入ってると思ったのか間近まで寄ってきて覗き込んできました。


こちらも特にそれに対して怒るわけでも注意するわけでもなく、逆にこういう法要が日常の中に感じ取ることが出来るなら良いことかなぁと、寛容的でした。お寺の子や、お寺の親族の子ならではの原風景になってくれれば、と思っています。


自分自身の経験を思い浮かべても、最初は何の緊張感もなく、ただただ祖父の横で正信偈を称えていた風景が頭の中に出てきます。そこから、お得度に向けて少しずつ緊張感が出てきて、お得度してからは教えてもらうことも増えて、永代経や報恩講といった年間行事に出るようになって、という形でした。


気が付けば自分が住職になって、子供がいて、今度は祖父や父が私にしてくれていた役割をする番になっています。こういう役割は親父にやってほしかったので、早くに亡くなって本当にずるいなぁという気持ちもあったりするのですが、本人もきっと残念がっているだろうと思い、何とか納得しています。


犬が亡くなったことを御縁として、子供たちにお寺での原風景を描かせる、そんな今日の49日の法要になったんじゃないかなぁと思います。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。巡り巡る御縁。



南無阿弥陀仏

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