宮沢賢治の享年に近づいていることに気が付く
2/5のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
ご存知のとおり、今日は東京で雪が降りました。私の記憶では今シーズンの初雪で、やはりテンションが上がっております。
この写真を撮ったのは16時くらいだったと思いますが、夜が深まるにつれて、雪はより強まっています。明日色々と大変になることは間違いありませんが、そこは見ないふりして、しんしんと降り続く雪を眺めていようと思います。
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宮沢賢治の享年に近づいていることに気が付く
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さて、もう当日まで2週間を切った本山婦人会での法話に向けて、着々と準備を進めています。今週まではインプット期間として、今は本を読み進めているところです。
そんな本の中で宮沢賢治が登場してきました。宮沢賢治が熱心な法華経の信者だということについて触れていましたが、それよりも驚いたのは宮沢賢治が37歳で亡くなっていたことです。37歳といえば私が今年なる年齢です。
宮沢賢治が生まれたのは1896年、今から130年ほど前になります。軽く調べただけでも、今とは時代感が違いすぎて、『え、亡くなったときの年齢は本当に37歳?』と疑いたくなるほどです。
今と昔では、明らかに生きることに対する執着が違います。むしろ今は恵まれすぎていて、そこに対する意識が軽薄になっていますが、昔は1日1日を生きることに必死だったはずです。そこの熱量が作品にも乗っかってきているのではないでしょうか。
とはいえ、37年間は37年間です。私も同じ長さの人生を生きてきているはずですので、時代感が違うからというのは、ただの言い訳に過ぎません。
勿論、私が宮沢賢治ほど優秀なはずもありませんが、一日一日を必死で生きたであろうその姿は見習わなければいけません。何となく終わってしまった一日を無くして、一日一日を有意義にしていきたいものです。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。まだまだ頑張れる。
南無阿弥陀仏
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