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家庭通信17号の制作が佳境

6/22のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


さすがにそろそろヤバくなってきた家庭通信の制作ですが、今日時間を取ることができたので入稿の目処が経ちました。前回のように、折り作業をこちらでしないように事前にプリントパックで注文は確定させましたし、あとは明日データを仕上げて入稿するのみです。


このペースだと、週明けには発送作業をできるかな、と思っております。週末少しバタバタしますが、頑張り時ですので頑張ります。


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家庭通信17号の制作が佳境

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法善寺の会報誌である家庭通信ですが、もともと祖父がやっていて一時期お休みしていたのを復活させ、今回が17号となります。年に4回発行していますので、5年目に突入したということですね。今書きながら気付いた事実ですが、少し感慨深くなります。


毎号毎号、流れ作業で作っている意識はなく、『届け!!』という思いを持ちながら制作しているつもりです。フォントの大きさや誌面の大きさを変えてみたり、見出しを工夫してみたり、地味なマイナーチェンジを繰り返しながら今に至っています。振り返って1号を見てみると、今とは全然違ってビックリするほどです。


家庭通信でもそうですが、私も僧侶の端くれとして、教化を目的として日々活動しているつもりです。このブログもそうですが、家庭通信を工夫したり、声明の勉強をしたり、税金の勉強したり、建替えの話を進めたり、バスツアーを企画したり、いろいろな活動がありますが、すべてのベクトルは『教化』に向くべきで、そこに向かわない活動はしていないつもりです。


教化は少し強い言葉かもしれませんが、ざっくり言えば仏教の教えや浄土真宗の教えを弘めていく、ということです。そのための活動で分かりやすいのは法話かもしれませんが、それ一つ取ったって簡単に教化できるものではありません。


日々の生活で忙しい方々ばかりで、そんな方に仏教に振り向いてもらうのは生半可なことではありません。忙しい人は他のことに興味がないと言っているわけでも、仏教に魅力がないと言っているわけでもありませんが、そこのマッチングをするのは簡単ではない、ということです。ともすれば『俺は教化に全力を注いでいる』と、届いてもいないくせに自己満足の世界に浸ってしまうことだってあります。


家庭通信も、教化のためには強いツールです。ただそれでも届け切れているかというとそんなことはありません。だから毎号毎号試行錯誤するわけです。届けるものを上等なものにし、届け方も上等なものにしなければいけません。そしてそれでも届くかどうかは分かりません。


タイミング、フィーリング、ハプニング、これらが重なった時にようやく教化は成るのかもしれません。そしてこれらは私の力ではどうしようもない事でもあります。来たるべき時にちゃんと届けられるように、ひたすらノックをし続ける、というのが今の私に必要なことだと信じて、今号も家庭通信に全力を注いで参ります。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。いつか振り向いてくれると良いなぁ。


南無阿弥陀仏

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