席を譲る、床座施
10/11のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
子どもたちの寝かしつけで一緒に寝て、妻に起こしてもらってブログを書いています。2時間くらい寝たので、ちょっと頭がボーッとしていますが、何とか起きています。
寝かしつけをするときは大抵、寝室のベッドの上で絵本を数冊読んであげます。読み終わったら『はい寝るよー』と言って入眠していくわけですが、そこの反応でどれぐらい眠いのかが分かります。今日で言えば、運動会の予行練習をしてきた息子は即寝で、保育園でも昼寝してきてる娘はすこし手間取りました。
子供が大きくなるにつれて、だんだんとこんな時間もなくなっていくのかなと思うと、多少面倒ではありますがこの一時を大切にしたいなという気持ちにもなります。とにかく、今週末の息子の運動会が楽しみです。
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席を譲る、床座施
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仏教には、財が無くてもできるお布施を『無財の七施』という言葉で表現されています。和やかで穏やかな表情で人に接する『和顔施』や、暖かく優しい言葉で人に接する『言辞施』といったものがある中に、人に席を譲る『床座施』というものもあります。
人に席を譲る、と聞くと電車とかを想像されるかと思います。もちろんそういった場面でも床座施は適用されますが、(私が聞いた話では)後進に道を譲るという意味でも使われます。物理的ではなく、立場や役職を譲る、という意味です。
言うは易く行うは難し、政治家さんを見ていると、この床座施がいかに難しいかが分かります。自分自身がその立場になったことがないので強いことは言えないのですが、自分自身の能力が落ちてきてしまったり、その時代に適応できなくなってきてしまった時に、身を引くというのはどうやら容易いことではないみたいです。
その反面、これをきちんと出来ているご年配の方を見ると、かっこよく映ります。当然本人の中での葛藤は様々あったはずですが、それを押し殺して後進に道を譲り、その手助けをしたり支えたりする姿には尊敬しかありません。自分がその立場になったとき、あのように振る舞える自信はありません。
そう考えると、まだ私は後進なので道を譲られる側ですが、そこにきちんと感謝の気持ちを持たないといけないなぁと思います。その席が回っていたことを当たり前だと思わず、床座施を頂いているんだ、有り難いな、と思うようにしたいものです。
今日もブログをお読みいただきありがとうございます。お陰様、で生きられていることに感謝です。
南無阿弥陀仏
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