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御文の作法

3/3のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日は桃の節句、雛祭りでございました。お寺にも自宅にも事前にお雛様を飾ってはいたものの、当日になると意外とやることがなく(多分あるけど何すればいいのか分からない)、『今日は雛祭りだな〜』と思いながら一日が過ぎていきました。


娘にとっては2回目の桃の節句となり、今月末には2歳になります。なんだか最近、話すことも少しずつ増えてきましたし、意思疎通も取れるようになってきました。子供の成長に触れるのは、嬉しいような、寂しいような、でもやっぱり嬉しいような、不思議な気持ちです。ともかくまずは、引き続き健康で元気に育ってくれれば何よりでございます。


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御文の作法

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昨日は声明学園の授業がありました。私が所属する研修科は引き続き五帖御文を学んでいるのですが、昨日は読法ではなく作法のお勉強でございました。


御文というのはただただ読むのでは無く、御文箱を取りに行き、手に取り、外陣まで運び、座って頂いて読み、終わったら元の位置まで運んで置き、ご本尊に拝礼をし、そして本堂から退出をする、という作法があります。文字で書いたらこれだけの順序に見えるかもしれませんが、その中に細かい作法がたくさん詰まっています。


そんな所作の細かいところを、本堂で実際に動きながら教えていただきました。年忌法要などで毎回必ず御文は読んでおりますので、慣れた所作かと思いきや、人に見てもらうと間違っているところが出てきたりします。やっぱり改めて先生に見てもらうというのは、とても大事なことだなと思いました。


ちなみに私の場合の細かい点を挙げていくと、御文本をいただく時(一旦みぞおちの辺りで両手で御文本を持ち、頭を下げること)、本の先が下がってしまっていたそうです。『下げたらダメ』ということはもちろん知っていましたし、そうならないようにしていたつもりですが、周りから見たら下がっていたわけです。ご指導いただかなかったらずっと下がっていたままでしたので、修正できて良かったです。


作法は何回もやらないと身に付きません。ただ、間違ったことを何回もやってしまうと、それが癖となり修正することはなかなか難しくなってしまいます。そういった意味では、人に指導するには、正しい知識を持つことはもちろんですが、自分自身の癖も把握していなければいけません。学べば学ぶほどその道のりが遠くなっている気がしますが、一歩一歩歩むしかありません。来週も引き続き、御文の作法を学んでまいります。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。年度途中でも、新規入学大歓迎ですよ。


南無阿弥陀仏

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