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怒りの火は限界を知らない

9/11のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


ここ最近はメジャーリーグの、というか大谷翔平選手の結果ばかり気になっています。ホームランランキングを独走していたかと思いきや、昨日の時点ではあれよあれよと1本差まで追い上げられていました。


そんな中で迎えた今日の試合、先発と2番打者という二刀流での出場で、見事にホームランを打ちました。ピッチャーとしては10勝をかけての当番でしたが奮わず、残念ですがホームランを見られただけでも良しとしましょう。稀に見る弾丸ライナーでした。


ということで、ベーブ・ルース以来の2桁勝利&2桁本塁打は次回にお預けになりましたが、楽しみがまだ残っていると前向きに捉えておきましょう。引き続き、投手としても打者としても注目していきます。


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怒りの火は限界を知らない =====================


さて、今日は9月11日です。現地時間とは少しズレがありますが、アメリカ同時多発テロ、いわゆる9.11から20年が経ちました。当時私は中学生でしたが、飛行機が世界貿易センタービルに突撃する、まるで映画でも見せられているかのようなシーンに衝撃を受けたのを今でも覚えています。


あれがちょうど20年前の出来事ですので、時の流れの早さが身に染みます。大学時代にニューヨーク・マンハッタンに行った時にグラウンドゼロを見ましたが、まだその時は工事中だった記憶です。今ではオシャレな池の様な、滝の様な、噴水の様な施設になっていて、機会があれば訪れてみたいです。3,000人以上が亡くなった場所ですが、暗くなりすぎないような、あういう形に造り替えるのはアメリカの良いところだなと思いました。


ただそのテロ行為をきっかけに、アメリカが中東への侵攻を強め、つい先日撤退するまでアフガニスタンに兵士を送り込んでいました。どちらの言い分もあるのでしょうが、怒りが怒りを呼ぶという、人の煩悩の深さを痛感するような一連の出来事であった気もします。双方に大量の死者が出たわけですから。


仏教では怒りのことを『瞋恚(しんに)』と呼び、たびたび火に譬えられます。有名な二河白道というお話では、火を瞋恚に、水を貪欲(とんよく)に譬えられています。


この、怒りを火に譬えたのは本当に絶妙だなと最近思い始めました。限界を知らずに広がり続ける火の様が、怒りと同じだからです。


私が最近それを実感したのは、子供を怒った時です。子育ての中で、イライラすることは多々あります。あまり怒らないようにしようと思いつつも、どうしても堪忍袋の緒が切れてしまったり、『あまり我慢しても良くないだろうから怒っておこう』みたいな感じで怒る時もあります。


とくに後者の場合は、ある意味自分の怒りをコントロールするために怒っているはずなのに、それによってどんどんヒートアップして、気が付いたら頭がカーッとなっています。結果的に全然コントロールすることが出来ずに、まさに火事のように怒りの火が自分の心をどんどん燃やしていきます。


火は一度大きくなってしまったら、小さくするのは時間がかかります。怒りも同じで、思った通りに大きくしたり小さくしたりは出来ないので、そもそも生み出さないか、生み出されても大きくしないことを意識しないといけません。子供に怒鳴ったら最後、結局怒りによって損するのは自分自身です。


こういうことを分かってはいても、実行することは本当に難しいです。怒りというのも煩悩ですから、それを断ずるのがいかに難しいかという事ですね。ただ、諦めて怒りに身を任せてしまうのは仏教徒としての姿ではありませんので、何とか抗いながら生きていこうと思います。日々修行です。



南無阿弥陀仏

 

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