改めてコロナ対策しないと
10/7のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日は声明学園でした。早くも始業式から一ヶ月が過ぎ、今週が文類偈真四句目下を習う最後の週だったのですが、いつも通り疲れました。真四句目下は音も高いし、ゆっくりだし、節を丁寧に称えるしで、手が抜けません(別に他の読み方でも手は抜いていませんが)。常に全力を出し切るし、そこにマスクの息苦しさも相まって頭がクラクラになります。終わって一時間くらい経った今も、少し肺がシュリンクしているような感覚があります。真四句目下はまだまだ完璧には程遠いですが、まずは頑張った自分を褒めてあげたいと思います。
そして来週からは五淘の念仏和讃です。法善寺では報恩講の時や、歴代住職の年忌法要などで使うくらいで、滅多に使うものではありません。普段のお勤めは三淘が普通ですので。さすがに声明学園も2年生になってくると、毎日使うものというよりも、重い法要などで使われるものが科目として登場してきます。たまにしか使わないかもしれませんが、こういうところでこそ僧侶の器量が問われるところでもありますので、頑張って会得したいと思います。
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改めてコロナ対策しないと
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さて、私は僧侶ですので、葬儀や法事の場には多く立ち会います。それ以外にもお墓参りにいらっしゃる方などともお会いしますが、そういった様々な方とお話させて頂いたりする中で、最近改めて『コロナってとんでもないな』と思いましたので、こちらのブログで共有させていただきます。
緊急事態宣言も解除され、2回のワクチン接種も終えた私ですが(#連日このくだりを書いてる気がする)、そんな自分自身に対してのある意味戒めも込めております。
お寺に来る方の多くは、ご高齢の方や、親御さんがご高齢の方々です。そういった方々とお話をすると、どうしたって『入院』や『施設(老人ホーム)』という言葉が良く登場します。『父が病気で入院しまして』や『妻が施設に入りまして』というお話を良く聞きます。
こういうお話が出ること自体には、コロナの影響はあまりありませんが、次に続く言葉にコロナが大きく影響します。それはずばり、『だから全然会えていません』です。病院もクラスターを警戒していますので、面会を許可しているところはほとんどありません。これは緊急事態宣言下であろうが、まん延防止措置下であろうが、最近の様な平常時であろうが関係ありません。去年、コロナ禍になってから、ずっと続いています。
スマホで連絡が取れればまだしも、お持ちでない場合は着替えを持っていった際に看護師さんや介護士さんから伝え聞く様子でしかご本人の情報を得られません。お元気になって戻って来れば良いのですが、万が一亡くなってしまった場合、何か月も前に会ったのが最後だった、ということがあり得ます。実際、この手のお話は何度もお聞きしました。
私も昨年に父を亡くした身ですので、この辛い気持ちは痛いほど良く分かるつもりです。父は血液の病気でしたのでコロナ禍であろうが関係なくなかなか会えなかったとは思いますが、急な最期を突き付けられた感じがして本当に辛いです。
ただ、別に病院だって嫌がらせでこんなことをしている訳では無く、コロナから病人や老人の方々を守るためにしている措置です。やはり憎むべきはコロナで、この状況は今年中、下手したら来年中も続くんじゃないかと思っています。治療薬が出来て、マスクが取れる日が来るまで続く気がします。
コロナを収束させる、これ以上感染拡大させない、という行動をみんなが取っていかないといけないわけですが、私自身は最近少し緩んでいた気がします。別に『バスケをするな』とか『友達とご飯に行くな』と言っているわけではありませんが、そんな中でも出来る限りの対策はやっぱりすべきだなと思いました。特に手洗いは、改めて徹底していきます。
また、今冬はインフルエンザのワクチンも受けようと思っています。周りの人だけでなく、巡り巡って日本や世界の人に迷惑をかけないように、出来る限りのことをしていきます。
こんな私に言われても響かないかもしれませんが、どうぞ皆様もお気を付けてお過ごしください。
南無阿弥陀仏
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