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明日は祖父の命日

3/27のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。

明日は娘の誕生日、ということで今日は夕方から誕生日会をしました。その買い出しで上野に行ったのですが、帰りに上野恩賜公園の桜を見ながら歩いて帰ってきました。満開ちょっと手前くらいの咲き具合で、とても綺麗でした。


まん防が明けて初めての週末ということもあって、多くの方がいらっしゃっていました。こんな時期なのでみんな立ち止まることはなく桜を楽しんでいましたが、つい3年前まではあそこにレジャーシートを広げて大勢の人が宴会を行っていたかと思うと信じられません。むしろ今の方が、立ち止まらないことで多くの人が桜を楽しめるので良いのかもしれません。


次の週末までが見頃みたいなので、興味のある方は是非お楽しみください。


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明日は祖父の命日

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そんな明日は祖父の命日でもあります。娘の誕生日と祖父の命日が同じなんて変な気分ですが、覚えやすいので良しとしています。


ということで、本堂の荘厳を祥月命日仕様に設えました。あれからもう7年が経ったのかと思いますが、振り返ると色んなことがあり過ぎた7年だったので、もっと前のようにも感じます。7年ちょい前までは祖父と会話できていたのかと考えると、不思議な感覚です。


祖父が亡くなる約5ヶ月前、法善寺では親鸞聖人の750回御遠忌法要を行いました。数字の大きさからも想像つくかもしれませんがかなり大きな法要で、まだお寺に入っていなかった私でも祖父と父が気合を入れて臨んでいることが分かりました。


そんな法要が無事に終わってホッとしたのか、その約1ヶ月半後に祖父はインフルエンザにかかってしまい入院し、そのまま3ヶ月ほど入院して亡くなりました。インフルエンザが直接の原因では無いですが、60代の時に肺がんを患って一部切除していたこと、高齢であったことが重なっての結果です。物心ついてから近しい親族が亡くなったのはこれが初めてだったので、かなりショックだったことを今でも覚えています。自分自身、大人な年齢になっていたはずですが、なかなか受け入れ難かったです。


この時に、人は亡くなっていくんだ、ということを改めて教えられたと思います。死なない人はいないわけで、自分の家族や自分自身ももちろん例外じゃない、ということに本当の意味で気付かされました。


僧侶という職業柄、多くの人の死に触れます。いわゆる大往生で生を全うした方もいらっしゃれば、若くして亡くなっていく方もいらっしゃいます。遺された家族とお話しする際に、祖父や父の死に触れた経験を生かさなければいけませんし、それこそが死に触れた遺された我々の使命なのかなとも思います。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。祖父からは、生き様と死に様を教えられました。



南無阿弥陀仏

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