書道 11月の課題提出
11/29のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
本山での報恩講が終わり、いつもの日常が帰ってきました。また、ここ最近の体調不良に終止符を打つべく、夕方に少し時間があったので耳鼻科と内科に行ってきました。たんまりとお薬を頂きましたので、まずは元気な状態を取り戻しに行きます。
内科の先生には『2ヶ月に一回風邪引いてますね』と言われてしまいましたが、確かに今年はそんな感じかもしれません。別に偏った生活をしているつもりもなく、不眠不休で働いているつもりもないのですが、結果的には不調がもたらされています。
何を変えればよいのやらと思いつつ、とにかくまずな目の前の健康に向かって邁進してまいります。明日も年回法要が入っておりますので、待った無しです。
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書道 11月の課題提出
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さて話は打って変わって、少し前になりますが書道の課題提出がありました。大叔母が亡くなったりしてバタバタとしていた中でしたので、このタイミングでのご報告となります由、ご容赦ください。
もはや2週間ほど前のことなので、何を書いたという記憶も薄らいでいますが、覚えている限りを記録していこうと思います。
まず一番右の漢字創作ですが、教室で書いたものとお寺で書いたもの、どちらを提出するか結構悩みました。結局は後者を選んだのですが、理由としては潤渇(墨が入ったところとそうではないところ)の差がよりあったのがこちらだったからです。
この創作のサイズは、縦が2メートルを超えます。もっと大きな紙もありますが、これくらいのサイズになると俯瞰してみるのは難しくなります。なので私はよく、スマホで写真を撮って見比べる、ということをします。
手元に作品が収まることで、大きな会場で作品を見ているような疑似体験が出来るので、より俯瞰して作品を見ることが可能になります。どれを選ぶか迷ったときは、迷わずスマホで写真を撮っています。
今回の創作に限らずですが、気が付けば私は墨をあまり入れずに書きがちです。恐らく根底に、下敷きの毛氈をあまり墨で濡らしたくないな、とかいう謎のエチケット心があるのでしょうが、思い切った方が良い作品は書けるものです。
かな交じりも、臨書も、こうやって見るとやっぱり薄いなと思ってしまいます。墨を乗せることに遠慮が見られますので、心の中にある変な壁を取り除きたいものです。とかいう思いを抱えながら、もう数年が経っている気がしますが。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。字体もそうですが、子供の時から培ってきた経験から来る固定概念は、なかなか崩すのは難しいものです。
南無阿弥陀仏
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